平安京を作った時 御所からズドンと大きな道が出来ました。
朱雀大路です。 いまは残っていません。 平安京を守るお寺として一番南に西寺と東寺を作りました。 西寺も残っていません。 東寺だけが残っています。
この東寺 京都へは何度も来ているのに 行ったことがありません。 すぐ横を通っているのにです。東寺は京都への入り口みたいな感じがしていて ここ東寺だよな・・・・と思っても「行こう」って話になったことはありませんでした。
今 凄くもったいないことをしたのだと気付きました。
東門から東寺に入ると とても優しい佇まいを見せる風景に驚きました。
華やかさもあり これぞ京都の春です。
人はそれなりにいるものの 御所と比べたら人がいないに等しい・・・・
そんな感じです。
今日は お寺の案内の人がついて説明をしてくれます。 嬉しい。
入り口すぐそばに咲いているしだれ桜
周りの風景にも解け合って美しい姿です。 気高い姿です。
外国の人も美しさを愛でていました。
滝のような花ですね?
まず金堂へ入ります。
中が撮影できないので 外だけで説明しなければならないのが残念です。
ここが本堂になるそうですが1486年に焼失したので 豊臣秀頼が発願して再興させたものだそうです。
それでも400年以上の時を見てきたことになります。
東寺の立体曼荼羅はここなのだと思って見ていたら真ん中に薬師如来様がいらっしゃるので違うようです。それに薬師如来様はお座りになっていらっしゃいます。
薬ビンを持った薬師如来様では無かったですが台座に12神将を 左右には日光菩薩 月光菩薩が光背には7体の薬師様が配されています。 間違えても仕方ないでしょ?
それにしても素敵な空間です。 このままとどまりたい気分です。国宝だそうです。
南側に南大門 その横に銅像が建っています。
確認はしていませんが弘法大師様でしょう。
ここは弘法大師のお寺です。
今度は講堂です こちらは重要文化財ですが 立体曼荼羅が配されています。
こちらも何度かの修理を重ねてきていますが1486年に焼失
1492年に再興されたそうです。金堂よりも更に100年ほど古いことになります。
外へ回って無理矢理撮ってみたので よくわかりませんが
真ん中に如来部
向って右側に菩薩部 左に明王部 その外に 左右に分かれて多聞天 梵天 持国天 広目天 帝釈天 増長天
となっています。
菩薩様はとことん優しいお顔で 仁王様は 私の見苦しい生き方をしっかり見ておいでのようです。
梵天 帝釈天 不動明王は国宝
大日如来は重文です。
立派な仏様に囲まれて ここにずっといたいと心から思いました。時間が少ないのが残念です。
五重塔と桜
綺麗な組み合わせです。 今日は嬉しいことにこの五重塔の内部を見せていただけます。
個人で行っても見せていただけないようで クラブツーリズム限定のようでした。
入り口で守衛さんがガードしてます。
屋根の四隅に イヤリングのように下がっています。 何のためだか知りません。誰か教えてください。
さて 五重塔ですが 中をお見せできないのが 本当に残念です。
いままでも充分感動したのですが この内部のすばらしさは言葉に出来ません。
この塔はじめからあったわけでは無いそうですが 空海の願いは60年以上後に叶うことになりました。
その後4回も焼失したそうです。
いまの五重塔は55メートルあり五代目
日本で唯一の高さだそうです。 だから雷も落ちやすかったのではないか?と言われています。
五重塔の初層はそんなには広くありません。 真ん中に大きな通し柱(心柱)が通っていて それを大日如来に見立ててあります。 大分色が落ちているとは言え すばらしい世界が広がっています。 柱の周りに金剛界の4如来様と八大菩薩様
周りの大きな4本の柱には金剛界曼荼羅諸尊が書かれているそうですが 何となくしか分からないのが残念。周りの壁には沢山の絵が書かれています。
扉には護法八方天 その扉の左右には八大龍王が書かれています。 これは凄いです。いまでも動きそうな様子です。1644年に作られたと言うから5百年近くの時を経たことになります。
黒は残りやすい色なんでしょうか? ラピスラズリ-は残りやすいと聞いたことがあります。色が永久に残る要素として鉱物を含んでいることが大事なんでしょうね? 黒は何を混ぜてあるのでしょうか?
もう一つ この東寺の凄いところを
実は火事に弱かった五重塔ですが 地震で倒壊と言うことは全く無かったのだそうです。
如来様に見立てた心柱を中心として他の塔身は軸部 組み物 軒を順番にくみ上げる作り方でがっちがちに固めていないこと だから地震のエネルギーは互いに吸収しあうようになっているらしいです。 これ計算された工法だとしたら凄いですね?
しかし 心柱に比べ 塔身はいろんな素材で出来ているので感想で収縮し そのずれが起きてくる。そのずれを直すために1692年50センチほど心柱を切り下げる工事をしたとある。どういう方法でやったのか? その証拠に須弥壇下の絵がずれているのだそうで・・・・・
日本の建築技術 恐るべし。
心残しながら バスの方へ戻ります。
池に亀さんがいっぱい
親亀の上に小亀が 小亀の上に孫亀がと言う図でしょうか?
重いよ~ どいてよ
と言う声が聞こえてきそうですが 面白い亀の習性です。
振り返る
二階以上に手すりのついた欄干が・・・
登れるのかぁ?
登りたい・・・・
でも階段見当たらなかったな
季節の花々が咲き 明るくて美しいお寺でした。
柳です。
それが何か?
小野道風のゆかりの柳です。 この柳に蛙が何度も何度も諦めないで飛びつくのを見て 自分も頑張らねばと思った・・・と言われています。
ちなみに小野道風 我が愛知県出身です。書道の神様です。
大師堂も行きたかったのですが 時間がありません。 今度は自分で京都にやってきてじっくり見ることにしましょう。
なんだかんだで気乗りのしなかったはずの京都桜見物でしたが この東寺を見られたことで大満足でした。