Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

歩いた 歩いた

2006-11-30 12:33:57 | 山歩き

石巻から葦毛湿原まで
何キロあるか知りませんが とにかく長丁場。 浜名湖の北から 南までを平地では無く山の尾根をひたすら歩くと言っても過言ではない。
一ヶ月前に同じコースを歩いて休憩を含めて7時間。 そのときは 石巻山頂上まで行かなかったし 普門寺にも降りることは無かった。
今回は 遠来の客にそこも案内したくて まず朝は30ふん早く出た。 そして途中の観光道路を 豊橋の友達の協力を得て車で移動 40分の短縮
1時間強の時間を作って出かける。
それでも ぎりぎり 何かあると日がおちて真っ暗になるだろう。
のんびりしていられない。

一番のネックは私の膝 低山だし この間歩いたときも大丈夫だったからと思っても その遅さで迷惑かけないかひどく心配。 豊橋の友達も それを心配してくれての今回の協力だったんだろう  ありがたい。

彼女 「どうしても普門寺は見て欲しい」と言っていたし。

Inutugenomiti_1 

歩いた歩いた 合計8時間半の山歩き。今回は中電の鉄塔に添って歩く事になる。

Ootibatouge

鉄塔の数を数えながら 何となく展望が開けてきたぞと思うと鉄塔。大知波峠から 7つめぐらいで多米峠 
とても良いお天気で 富士山もはっきり見えた。 こんなことは珍しい。

Fujisan

鉄塔をまく風の音だろうか?稜線はごうごううなり声。 時々木のこすれる音がきゃんきゃん言っている。 尾根歩きとは言っても 結構アップダウンがあり 汗を拭き拭きの山歩きだったんだけれど 和たん あれ? 雪が大好きで雪を追いかけて山登りしている人が 寒いってダウン着ているよ。 ジャケットの上にダウンだよ。 ま 私は肉ダウン着ているしね。

Kouyou_1

山は 綺麗に紅葉していて 点描法で書いたような彩り 時々展望が開けると 振り返ってパチリパチリ。 鉄塔で 「よい子は登らない」と書いてあると「私よい子じゃないもん」と よじ上り どうしても 少しでも高いところがあると登ってしまう。

多米峠から 気が遠くなるようなアップダウンを 5回ほど繰返しただろうか? 雨宿り岩につく  当然登る。 今回のコースは 山と浜名湖 海 いろんなものが見えてその開放感は気持ちよい。 雨宿り岩を反対方向に降りようと挑戦しているジオンさんを見てびっくり。 無理だと思うけれど・・・いくら彼女がフリークライミングやっているっていったって

Jion_2

降りてきて反対側に廻って 無理だったかもと言いながらも 諦めきれない様子。 一番左のおくに廻って 「ここならいける」と言う。 ひえーっ きっと次には挑戦するに違いない。雨宿り岩から これからのコースを山の稜線を辿りながら確認 ふーん少なくても大きな大登りと大下りが3つはあるな。

そこから15分ほどで神石山につく。 昔航空灯台があったところ。 そのせいか 通りすがりの小さな場所の印象なのに 一等三角点があった。 そこに豊橋の友達が 葦毛湿原から登ってきて待っていてくれた。 もう普門寺まで行って道を確認してきてくれている。なんと言うこと。 ありがたい。 本当に彼女にはお世話をかけっぱなし

 普門寺が 船形山の中腹って聞いていた割には うんと下の方で 滑りそうな急降下を 繰返す。「これは中腹では無く 下腹部だよね」何となく卑猥な言葉が浮かぶ。 
え? と言うことはまた登らんといかんよ。 降りてみると 高いところに山の稜線が見える。あれはまるで空の道だ。
でも 実に綺麗な紅葉だった。 ヤマモミジははっぱが小振り 日の光を透かして見ると本当に綺麗。 赤ありオレンジあり黄色あり 緑あり
しばし古刹と紅葉の調和を眺めて 疲れを忘れる。

Fumonji3 Fumonji2

登りは 疲れもあってしばし立ち止まって小休止したものの 想像よりは早くついた。 船形山が少し低いのかもしれない。
葦毛湿原に降りる頃には 豊橋の町が夕日に赤く染まってきらきら おっとうっかりしとれんよ 日が落ちたら 山の中で真っ暗。

なのに 豪傑和たんは 「日の落ちるのをここで見ていたいな」とのたまう。 うんうん 綺麗だろうね と思いながら ふと二年前 多米峠から足もとも見えなくなった山道を駆け下りてきた体験を思いだす。 ぶるぶる

Toyohasi
幸い人の顔や 足もとが見えるまでに下山
安心した私たちは 湿原の出口でヘッドランプを付けて ぜんざいを戴き 充実した一日に感謝 
ついでに 頑張ってくれた膝に感謝。

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般若心経

2006-11-28 22:36:39 | 日記・エッセイ・コラム

私の家は 飛騨地方では古い歴史を持った家で 仏様にお参りすることは生活の一部であり とても大事にされてきた。

父はいわゆる本家の跡取りであるが 仕事の関係で若いときから家を出ているので 私たちの暮らし方は新家の様なものだった。 仏壇も最近まで無かった。

だから時々 父や母の実家に帰ると その作法やしきたりにとまどうことが多かった。

そんな風でお寺巡りは好きでも お経を上げることは全くない生活をしている。 教典を前にすればついて読めるが 殆ど覚えていない。

先日 寂光院でのこと 本堂の回りに回廊の様な廊下があって そこを右回りに般若心経を唱えながら三回廻ると願いがかなうと書かれていた。

Jyakkouin2

何でもやってみる私。

回りの人は何やら唱えながら一心不乱に廻っている。私たちは山登りの中の一部のように大きなリュックを背負って先頭を切って廻ってみたもののなにか所在ない。

登山靴で どたどたと手を合わせて頭を下げて歩いているだけ。

ふと耳を澄ますと 後ろから般若心経が聞こえる。ん?んん?え~っ?

私よりもうんと若いピーが般若心経を唱えている。ますます 所在なくてピーと先頭を交代。後をついて手を合わせながら ひたすら沈黙のお参り

般若波羅蜜多~~♪♪ 

ひぇー 私も覚えないといけないな

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可愛いおみくじ

2006-11-27 01:23:20 | 旅行記

虎渓山永保寺に行ったときのこと。 今年最後の美しい紅葉を堪能して大銀杏の所までくると その前に小さな社務所がある。

ここの庫裏は何年か前に火災で焼け そのときの様子をニュースで知って なんだか心が痛んだことを思い出す。

前にきたときは 昔の庫裏のアルバム等がおいてあって 瓦一枚でも良いから寄付して欲しいとの働きかけがあった。 今回はその庫裏の建築も始まっていて 当時を忍ぶ立派なものが 姿を現していた。 それでも資金の調達には難儀しているのか まだ寄付の呼びかけをしていた。

今回は良かろうと通り過ぎようとしたときに 可愛らしいだるまが目に入った。とても優しいお顔のものや ひょうきんなもの手書きらしくいろんな表情のだるまさんだけれど みんな女顔。

このお寺とだるまさんの関係は解らないけれど、1個300円とある。 え? 安いんじゃないの? 浅ましくもそんなことを考えて手に取ると 更にこのだるまさんには 底におみくじが仕込んであって抜くとおみくじが現れ だるまさんは 起きあがりこぼしになると言うこと。 ますますお得感

この話を娘にしたら こっぴどく叱られたけれどね。「主くじにお得感を求めるってなんて言う奴じゃ」ってね。

私は端正で優しいお顔のだるまさんを選んだ。

Omikuji

「凶 大凶が出たらお寺で引き取ってあげますよ」と言われて こわごわ見たおみくじは 小吉  「ふふ 私の人生ってこんなもんだな」

ピーは大吉

私は小さな幸せを目を皿のようにsて探して生きていくんだな。

でも今の毎日 それなりに満足して居るから これでもいいや。

大きな吉は無くても 大きな凶が無ければいいや。

そんなことをを考えながらだるまさんのお顔をのぞき込むと 心がほぐれてくる。

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目が点

2006-11-24 23:03:53 | 日記・エッセイ・コラム

継鹿尾山から下山して 善師野の駅に向かう途中のこと

善師野の駅は 無人駅で 回りにお店とか何も無いのだけれど 面白いものを見つけた。

畑の中にぽつんと立つ 彫塑

大きな丸太ん棒のようなものに 足がついていた。 足はあぐらをかいていて 頭が無い。

後ろに回ってみると 確かにお尻がついている。

Meisou ついでにいらん事ながら この丸太ん棒が 男か女かまで確かめてしまった。

はは はしたない。

題材は あまりに強烈で しっかり覚えていないのだけれど 「瞑想」だか「沈黙」だかの題が付いていた。あまりに瞑想しすぎて 頭が無くなったのに気づかなかったのか 座禅を組んでいる 丸太ん棒は 黙ってそこにいる。 いつまでもいつまでも・・・

芸術に疎い私は 題目と 表現の結果が分かるような解らないようなで 思わず笑い転げてしまった。 ごめんなさい。

この町 こんな作品をあちこちに作ってあるらしい。 駅舎の横にもあった。 素敵な試みだけど 無人駅で 見る人が少ないのは残念だよね。

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東海自然歩道 継鹿尾山

2006-11-24 01:24:10 | 山歩き

真っ赤な紅葉を期待して 犬山の寂光院から 継鹿尾山を経て善師野までのコースを歩いた。 寂光院は今年はまだ紅葉には早く青もみじ。それはそれで綺麗だけれど テレビのコマーシャルの様な赤は全くない。 地元の人が申し訳ながっている。

Aomomiji_2 Jyakkouin_2

境内の 縁結びの寺の脇から 三角点30分の標識。

あら? 案外近いんだねぇ。 三角点って 頂上だよね。273メートルの山。登山と言うほど厳しくは無いけれど 登りは結構岩場がある。 雨の後は滑りやすいかもしれない。

東海自然歩道らしく 丸太の組まれた階段もいっぱい。 良く整備されている。 20分ほどで 小さいけれど開けた場所に到着。先着組が食事中。 

ん? ここが頂上? 展望も無いし変だなぁ・・ 聞いてみるとまだまだ先だとのこと。そういや 時間が早すぎた。 行く手をみると あらぁ あっちの山じゃないの? だっててっぺんに立派な東屋が建っているよ。

え~~っ あんな所まで行くの? と思った割には直ぐについた。 寂光院は全山火気厳禁だったけれど ここでは良いらしい。 煙草の火は 灰皿へって標識があるもの。

Azumaya ランチタイムだ~~

Tugaolunch

東屋からは 犬山遊園 モンパがましたに見える。 木曽川が日の光を受けてきらきらしている。 空は時々ぽつぽつ来ていて怪しげだったのに 岐阜城も見える。 養老山脈 そのそばには 薄く影のように 鈴鹿山脈も。。。

全部全部二人占めー

善師野に向かう登山道は 下が見えないくらい急降下。 どうしよう?と思ったけれど直ぐに丸太の階段になり 振り返ってみると ひえーっ! これは反対だと結構きついかもしれない。

なだらかな尾根歩きの後分岐から駅の方に そんなイメージを持って歩いていた私たちの目に飛び込んできた景色は 次の山に続く一本の道。

へっ? まさかあそこまで登るんじゃ・・・ でもまさかだった。

5回ぐらい登り降りを繰返したかなぁ? ピークにたどり着くたびに 次の山への道をみて少々うんざりしていたけれど やがて車止めのある所に行き着く。 車止めがあるからここまで車で来れるんだろうな? ムリムリ 軽トラなら良いかもしれないけれど・・・それに車止め無くてもこの坂道を登る車は無いって!

そんな馬鹿なことを行っていたら直ぐに恵那道と本道との分岐 まっすぐ行くと筈ケ岳の方へ行くらしい。

私たちは右に折れて本道へ

緑いっぱいで 道は割と広い。 やはり車は何とか通れるようだ。道だけは人工的なのに それ以外は まるで原生林の様で あまりに静。 始めは落ち葉を拾ったりして楽しんでいたけれど 行っても行っても変わらぬ景色にだんだん不安になる。 熊さんがどこかに潜んでいても不思議では無い。

知らぬ間に 足早になっていたらしい。相棒に大笑いされる。 やがて行く手に何か光るものが それはまるで鏡のようでもあって しばらくは何か解らなかった。それが大洞池の湖面だと知ったときの驚きと言ったら・・・・まず自分の目を疑った。 満々の水を湛えた池は 水が澄んでいるのに 碧深く回りの景色を撮し込んでいた。 なんと神秘的な池なんだろう? しばらく感動で動けなかった。 ネットでみた風花さんのレポに出てくる水舟の池ってきっとこんなんだろうと思った。  私にも こんな池がみられた。

Ooboraike Oobaraike2

下山して 犬山のとある喫茶店で 東海自然歩道を歩いてきた事を話したら「池 綺麗だった? あそこは裏中山道って言って昔からの道なんだよ。」と教えてくれた。

まだまだ駅の気配もなく 先を急ぐと 程なく空気が緑色に変わったかと思えるほど美しく背高のっぽの竹林。

何処が良いの?と聞かれても答えられない。 でも美しい。 やっぱり山が好きなんだね。そんなことを考えていると いきなり里に出る。 振り返ると遙かとおくに 私たちが歩いてきた山の稜線が見える。ずいぶん歩いたんだね。

Tikurin Dikonnbosi

里の入り口なのだろうか。 熊野神社があり登り口には綺麗に紅葉した 立派な木が二本立っている。 村祭りの様子が想像できるような 里人と共に歩んできた神社。

ここから山にお別れして アスファルトの道をてくてく歩く。20分ほどあっただろうか? 振り返り振り返り 山を確かめ 今日の自然歩道を頭に刻みつけていた。

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