Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

手術の練習

2018-05-15 21:36:09 | 日記
今度こそ毎日日記代わりに書くぞ・・・と宣言したもののいつまでも書けないでいたのには訳があります。
私は何年か前から緑内障を言われていました。
いつ眼球が破裂するかわからない その時は失明を覚悟してください。
んな事無かろう
と先生の言葉を大げさな話と思っていました。
何年か前から経過観察で通院していたのですが「そろそろ手術を考えましょう」と言われ 突然ビビりだした私
お嫁さんの病気を口実に何となく逃げてましたが そうもいかなくなって4月に手術をすることになりました。
緑内障だけならレーザーで穴をあけるだけでいいとのこと
それでも いつかは白内障のことも考えて手術をしなくてはしけない日が来るから 白内障の手術をすることを勧めます
と言われて「じゃぁ・・・・」と決心したのですが

手術の2週間前 詳しい話を聞きます。
看護師さんに 何気なく打ち明けた話でちょっと大事に

それは私のヘタレが原因で起きるパニック発作のことです。
ぜんそくの重責発作で何度の入院した経験が原因だか 心配事があると ひどく呼吸が怪しくなり呼吸困難になるのです。 MRIも無事に撮れたことがありません。
歯医者でも時々おかしくなって起こしてもらい しばらく息を整えます。

「全身麻酔をしてくれる病院を紹介しますから そっちへ行ってください。」
あらら 私要らんこと言っちゃった?
めんどくさいことになったぞ。

「途中でやめることができません。 何かあったときに失明することになります。」
若くてイケメンの先生は困惑して しかし冷たく言い放ちます。

「いや 受けさせてください」

無かったことにしたい私はただお願いするだけですが こころには不安が渦巻いています。

「じゃぁ 本番と同じように手術の真似をしてみましょう。 それでお互いに大丈夫そうだったら手術を受けるということで」

大事になりました。
手術着をつけて 心電図と血圧を測りながら 手術台に乗ります。
先生も手術着を着て待っています。
目を開く機械をつけます。 麻酔の代わりだと思うのですが 何度も何度も目薬のようなものが注されます。血圧は一気に200越え
それでも「今何分経過です」
と説明を受けているうちに下がってきて 平常心になれました。
麻酔の注射が怖いって聞いたことあるけれど 近すぎて何が起きているかわかりません。
そんな風に丁寧に私の不安を取り除いてくださって 感謝感激。
冷たい感じの先生と思っていたのですが とても親切でした。
おかげで 本当の手術も無事に終わって 今は視力が安定してくるのを待っています。
「白内障の手術をしたらびっくりするぐらい目が見えるようになって」
と聞いたことがありますが 残念ながら私にはその奇跡は起きませんでした。
それでも 眼球が破裂するなんて恐ろしいことは起きなくて済むようです。

手術の練習までして臨んでくださった先生 スタッフさん 本当にありがとうございました。
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彼女の居場所

2018-05-08 21:41:18 | 日記
彼女が私達の前から姿を消してもう二か月以上になります。
三月末には49日の法要も済ませ 私たちは何事もなかったかのように暮らしていますが 一時も忘れたことはありません。
「るっち ははちゃんがいなくなって悲しい?」
上の子はとても母にべったりだったので そのケアをどうしようか?と考えていました。
毎日泣かれて 慰めるのにどうしたものかと思っていたのです。
ところが彼の返事は意外なものでした。
「ううん ははちゃんの骨がみられてよかった」
耳を疑う言葉でした。何しろ4歳の子 言葉を鵜呑みにするのはいかがかとは思いますが息子と目を合わせ言葉を失ったことを思い出します。
療養生活が長かったことで 彼の中では何となく覚悟ができていたのでしょうか?

我が家にはまだ仏壇というものがありません。
正確に言うと義父が家を新築した時に買いました。 おかしな話ですが仏様のいない仏壇です。
墓地もありますが 誰もいません。
じゃぁ彼女が一番の・・・・
7年間しか暮らしてなくて いきなり我が家の仏壇に入ったり墓地に入るのはあまりにかわいそうなので 息子の海の家に置くことにしました。
ここで子供たちと一緒に暮らします。

彼女が子供ころに使っていたベビーダンスのようなものを彼女の場所にしました。
引き出しには 子供たちが大好きだった母親を偲べる洋服や道具が詰まっています。
さみしいときは引き出しを開けたらにおいなど感じることができたらな・・・と思い品物は厳選しました。
お骨も一緒にいます。
彼女が輝いていた子供時代と学生時代の写真 そして一番大きな写真は 去年沖永良部島で遊んだ楽しい写真です。

「るっち朝起きてきたら ははちゃんにおはようって言おうね」
「だって ははちゃんもういないから返事してくれないもん」
「違うよ 何か困ったことがあったとき ははちゃんなら何て言うかな?と考えてごらん。 きっとははちゃんが教えてくれるよ。」
そんな会話が効いたかどうかわかりませんが
「ははちゃんに ご飯あげる」とお供えを飾ってくれたり お土産と称して ドングリを持ってきて写真に向かって語り掛けたりしてくれるようになりました。
今私がしてやれることは 子供たちに母親の記憶をいっぱいいっぱい残してあげること
毎日 母親の話題を出します。
笑い転げながら
泣きじゃくることもありますが きっと一緒に私たちの暮らしを見守ってくれていると思います。

時々子供を叱りすぎて 彼女がなんて言っているかな? 悲しんでいないかな?と後悔したり反省したりして写真の彼女に謝ります。
私の使命は長生きをすること
1歳の孫は私がいつまで生きていたら いいのでしょうか?
年を取ってあちこちガタが来ている私に かなりの難題なんですけれど
コメント (6)
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