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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

中山道を歩く 馬籠から馬籠峠へ

2007-11-23 12:00:00 | 山歩き

23日金曜日は 私の仕事が休みの日。 祭日と重なった。こういう事は滅多にない。

亭主殿がカレンダーに赤丸を付けて待っている。ちぇっ 面倒見るのか・・・・と内心思いつつ 二人でいけるところを探す。

この日名鉄のハイキングで馬籠から妻籠コースがあることを思い出した。これは丁度適当なコースだ。しかし 家からそう遠くないのに わざわざ名古屋まで出かけて参加することもないさと マイカーで 行くことを決める。

東海道も 中山道も だいたい近くに線路が走っている。 中山道は中央線 東海道は東海道線。 ところが 妻籠から馬籠の間は 駅から行くには割合不便 車で行っても電車が使えないので ピストンを余儀なくされるのか?と 少し諦めていた。 しかし バスが沢山出ていることがわかったので 安心して中山道を歩ける。

祭日だもの 沢山の人 恵那の辺りから大渋滞。 幸いひっかからないで 中津川を降りる。恵那山が白く雪化粧して綺麗。 これは期待できる。 馬籠で駐車場に迷い(まだたくさんあった。あまりありすぎて何処において良いやら)馬籠の宿の上の方に置いてしまった。 ここから妻籠まで歩いて 乗り合いバスにのって戻り 馬籠の宿を散策して帰ることにする。

家から割合近いこともあって 駐車場はまだがらがら。何処において良いかわからないので 陣馬の東屋の脇に駐める。 恵那山真正面

Enasan 陣馬は馬籠の宿の上の端に当る。おそば屋さんの前に高札場がある。何時の時代の物を再現した物だろうか?一気にタイムスリップしたような気分になる。

Kousatuba

石畳の道を上っていって民家の庭を通る。 いや~ 今日は沢山のひとだもの迷惑なことだろうね。

ずっと石畳の道に誘われて進む。 しかし待てよ。どう考えてもこの道新しい。 一気に冷める。全体に 特に馬籠では作られた古い町という気がしてならなかった。 復元は元々そうなるので仕方ないのだけれど 少し違和感

もう一つ悩まされたのが 中山道があちこちで寸断されていたこと。少し良い気分で歩いていると 直ぐに自動車道路に出会う。 平成と江戸の出会い~とは思えない。恵那山の脇を通る東山道もそうだった。 地元のくらしが大事 でももう少し何とかならなかったのかな?

Suishazuka この前の道は梨の木坂と言うけれど 梨植わっているのかな?丁度渋柿の収穫をしていた。 とてもおいしそうだけれど渋柿 皮をむいて吊す。 寒風にさらされて 時々揉まれて柔らかく甘くなる。

Kakisudare2三度ほど車道を横切り進むと十返舎一九の碑まで行く。

双体道祖神は 月日を経てよく見えなくなっている。

Dousojin 

農家の軒先に腰掛けて何かを食べている人がいた。 何もこんな人のうちの軒先でご飯食べなくても~ と思いきや 農家でふかし芋を売っているのだった。何とも商魂たくましい。

と言っても私達も1個だけ買って 直ぐ先の東屋で半分こ。 ここで ポットのお湯で珈琲を淹れる。今回は 何でも買えると思ってお茶さえ買ってくるのを忘れた。

Jyuppennshaikku Tougenookasiranohi  

この辺り峠の集落。昔民間の輸送に使われていた牛「岡舟」の仕事に関わっていた人々の集落。1762年の大火で焼けてしまったらしい。その後火事も起きていないので 結構沢山のうちが連なっている。

Kakisudare

Kikyouya 山あいの小さな集落だけれど 何か懐かしい。 ここで今も生活を営んでいることに 感動さえ覚える。

ここから更に登っていくと馬籠峠に出る。

Kumanojijya

馬籠峠 昔の旅人を悩ませた難所の一つだけれど 近年頂上を十数メートル削ったんだとか???? へっ どうして?

十数センチじゃそう楽な道になったとは思えないし・・・

Magometouge 峠からの景色は美しい。丁度見頃の紅葉は 日の光を受けて輝いていた。

特に見える山は南木曾だろうか? 

去年登って 私の山登りの考え方を根底から揺るがすことになった山。 山登りのスタイルの転機になった山。

そんなことを考えていた。 後であの山は伊勢山1373メートルとわかる。

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どうするどうする?お~な~か~?で箱根神山

2007-11-20 00:00:00 | 山歩き

会社の売場で流れてくる音楽 どうする?どうする?お~な~か~?

そのインナーをつけて歩くだけで おなかがへっこむというのが売りの製品。 さて あんまりコマーシャルに興味無い筈だったけれど 毎日毎日呪文の様に流れてくると・・・まんまと敵の罠に引っかかってしまった。

何しろ年を取るに従って 体重そのものに変化が無くても おなかはどんどんせり出してきて ぽっこりが どっぷりになって どてんとなってきた。社員割引で買えることがわかって 意気揚々と店に繰り出す。なのに私に合うサイズは取り寄せだと・・・まぁ ぷんぷん

取ってもらうことにしたけれど 待てない。 「一つ下のサイズだと履けない?」「いえ 伸びることは伸びますよ。」「じゃぁください」「でも 傷みも早いかもしれません」

とりあえず 無理矢理一つだけ買ってくる。 後は取り寄せ。

こうなるとこらえ性がない私。 身につけて歩く日が待てない。

で決めたのが箱根 神山。 本当は散歩程度で 効果があるらしいのだけれど 山登りならもっとあるに違いないと思ってね。

わくわくして朝を迎えたのに最悪~~ 空は朝焼けで真っ赤 西の空真っ黒 車のフロントガラスにぽつぽつ  あららー なんだかなぁー

「ははは 晴れ女じゃなかったの?」と息子の意地悪な言葉を背に 憮然として出かける。

しかーし やっぱり晴れ女だった。 菊川の辺りから真っ白い富士の姿。この霞具合じゃとても無理だーと思っていた富士山にあえあえたー。 やがて富士は前になったり 左になったりして移動を繰り返しながらどんどん大きくなってくる。 凄いな やっぱり日本一の山だよ。

Fujisan2 本日はお気楽コース。 駒ヶ岳ロープウェーで山頂近くに行ってそこから神山へ行って早雲山からの道を通って周回の予定だった。 日本にある沢山の駒ヶ岳の一つ 箱根の駒ヶ岳はどんな山なんだろう?

しかし強風の為ローウェーは運行休止。

お天気の割に富士山が綺麗に見えるのは風のせいでした。

ふーむ 困ったぞ。 で辿り着いたのが桃源台から大湧谷へのロープウェー ここも昔は良く止まっていた気がするけれど 今二本のロープになって ゴンドラも美しくなって とまらなくなったのかな? 風の唸り声がするのに ゴンドラは殆ど揺れることなく登っていく。 日の光を受けて紅葉が綺麗。

Ropeway Ropeway2

大湧谷から神山へのピストンを選ぶ。 今日は富士山がずっとお友達だし 「どうする? どうする? おなか~」対策としては上々。

桃源台から姥子 大湧谷へ至る散策路がある。あそこも行きたいなーと思うけれど 日帰りではあまり無理できない。

火山ガスの吹き出す大湧谷 昔子供を連れて来たときも寒かったな。ここはいつも風が強い。火山ガスの噴き出す地獄のような様子の斜面を行くコースもあったけれど却下。実は喘息持ちの私には とても危険な道なのだ。

FunenMonpi

神山へ行く道はゲートの門扉を開いて入っていく。 この道もしばらくは噴煙の流れる道。 ゆっくり息を吸ってみる。大丈夫そう。 ポケットの吸入器を押さえる。 おまじない。

右手上に大きくて不思議な形をしたピークがある。 噴煙の上にあるので まるで地獄の見張り台のよう。 冠が岳とわかる。 ちょっと気になる山。

KanmurigatakeFujisan3_2  

冠を右に山の中に入っていく。 噴煙の斜面を過ぎて振り返ると おおきな富士山が

火山特有のごろごろした岩の道を歩いていく。10分ほど登っていくと だんだんに樹林帯に入っていく。 すっかり噴煙の事を忘れていた。

時々硫黄の匂いがして 大湧谷にいることを思い出す。 亭主と二人で歩いているなら あらぬ疑いを持ってしまうところだ。

Tozandou Tozandou2

早雲山への分岐 この道を通って駒ヶ岳のいけたらしいのだけれど 先日の台風で土砂崩れが起きて道路は通れないらしい。 よほどひどい雨だったらしい。

かなり急登ロープウェー駅を出るときにダウンを着込んで震えていたはずなのに はぁはぁ言って汗びっしょり。道は知らず知らずのうちに回り込んでいるらしく 思いがけない方向から富士山が現れてびっくり。 何処までも富士山とお友達。

KyuutoFujisan 

少し傾斜が緩くなって来たと思ったら 笹原を歩いていた。どうやら尾根歩きをしているらしい。時々気持ちの良い雑木林に入る。山の上にいることを忘れてしまう。

Sasahara

やがて神山まで5分の案内が。 しかし大湧谷45分の表示もある。いやいや ちょっと無理だって。 凄い健脚ならさもありなん。 ここから あの気になっていた冠へも五分でいけるらしい。 往復すると 20分もあれば行ってこれるはず。心が動いて登山道をのぞいてみる。

ありゃりゃ 岩ごろごろの 鬼の散歩道だよ。

Kanmuriieiguti

行きたいけれど どうしよう?だれも行かないようだし もし一人で行って転んで 馬鹿なことになったら・・・・今日は一人だもの 誰も助けてくれないよ

葛藤の末(おおげさ?)諦めてひとまず神山へ

ここからの急だったこと 急だったこと 5分より掛った気がしている。 手を使わないとはい上がれないような岩を乗り越えて行くところもあるし くだりのことを考えると気が滅入ってしまう。

振り返ると 冠が見える。冠が少し下の方になるのを見ながら登っていく。ほんの30メートルほどの違いなのに ずいぶん高いところにいると思う。

Kanmuri神山は 箱根の最高峰だったんだ。 1438メートル。

駒ヶ岳 二子山とともに中央火口丘を作っている。古くから上山として崇められてきた山岳信仰の霊山だそうだけれど 山頂を見る限り あまりその気配は無い。

山頂には展望が無いので少し降りて駒ヶ岳へ行く登山道の方から見てみる。外輪山の様子がわかる。春に来た金時山も見える。

Gairinzanくだり 転ばないように同じ道を辿りながら 大湧谷に戻る。

この山とお別れと思うと ちょっと寂しい。

気になる登山道もあったことだし。もう少し通わないとね。

今日一日お伴をしてくれた富士山は 富士川のサービスエリアでも 赤富士となって 見送ってくれた。

Akafuji どうする?どうする?おーなーかー♪ の効果を信じて食べたもの おむすび二つ おかずパン二つ 富士川で食べた富士宮焼きそば 富士川でゲットした速弁一つ・・・・

たべすぎや~ 効果あるわけ無いな。  

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湖東三山 西明寺 山道を歩く

2007-11-13 16:00:00 | 旅行記

金剛輪寺を出て暫く あまり記憶が無い 地図によると松尾寺の当たりから右折して里の風景を楽しみながら歩いたはずなのだけれど・・・気づいたときには 山の迫る大きな田畑の際にいた。 道は田畑を迂回して大きく曲がっている。良く見るとまっすぐ畔道を進んでも 同じ所に出そう。 少し迷って小川沿いに畔道を歩くことにした。

ついたところは 猪よけのゲートがある山への入り口。 どんな仕掛けがあるかっていうと ただのかんぬきに もう一つわっかがはまっていてそのわっかを持ち上げながらかんぬきを外さないと ゲートが開かない仕組み。 まさに知恵の輪。 (しまった 写真撮ってくるんだった)

向こう側が見えないので 少々苦戦。しかし ここまで難しい知恵の輪仕組まなくても猪は開けられないでしょうに・・・猿もふつうは無理だと思うよ あ! ひょっとしたら人間様?

でも後から思うに 出口にはこの知恵の輪が無かったような・・・ 片手おちでしょっ!

Rinkanhodou Rinkanhodou2

この林間歩道 特に特徴は無く 木の階段をひたすら登ったり下りたりの繰り返し。初夏の緑とか 花の季節には楽しいかもしれないけれど 森林浴と思えばこれもありかな?

時々 滑りそうな所もあったけれど おおむね山の散策路で 20分も歩かないうちに 突然目の前が開けて バスが駐まっている駐車場に

西明寺の駐車場だった。

さて西明寺 百済寺が飛鳥時代 金剛輪寺が奈良時代 そして西明寺は平安時代 時代時代に作られてきたこのお寺は 三修上人が開創されたとか

平安 鎌倉 室町の各時代を通じて祈願道場 修行道場として栄えていて山内には 17の諸堂 三百の僧坊があったと言うから やはり大きな物だった。

私達は 歴史を見るとき どちらかというといつも中央を見ている。 そんな情報が溢れているから そんな情報しか手に入らないから・・・ 考えてみると ずいぶんゆがんだ歴史を見ているのかもしれない。

ここでも当然ながら信長の焼き討ちにあったのだけれど 幸い 国宝第一指定の本堂 三重の塔 二天門が火難を免れている。

Sanmon Sandou

湖東三山は どのお寺も江戸時代に 天海僧正等の力を借りて復興されている。

山門からは 美しい苔の道が広がっている。

何度も何度も振り返ってみる。 僧坊の跡地なのだろうか?今は静に 時の流れの中にある。

少しずつ苔道に面した石段を登っていくと おおきな千年杉に出会う。 せんねんかぁ? 開創されたのが834年だから ほぼこの寺の歴史とともにある杉なんだね?

Kokeniwa Sennensugi

本堂へ向かう前に左にそれて庭を見てくる。

考えてみたら 湖東三山 みんなレイアウトが一緒だな。 似たように時代にできたからかな?庭はかなり豪華。 ここは蓬莱庭と言われる庭で薬師如来 日光 月光の仏さまを表わす立石 十二神将を表わす石組みがあって 心字池には折り鶴の鶴島と亀島がある。

Houraitei Sinjiike

Sitidanka Yuzusenryou

不断桜もある。 私の家から豊田の町を越えて小原まで行くと 紅葉と一緒に咲く四季桜というのがあるのだけれど あれと一緒なのだろうか?

庭を出て 二天門より本堂へ登っていく。あまりに似ていて さっきのお寺と勘違いしそう。

Nitenmon Hondoukarasanjyuunotou  

この本堂にも沢山の仏さまがいらっしゃるのだけれど 今回は素通り。

パンフレットで見ると 素朴なお顔の仏さまだった。

ちょっと惜しいことしたかな?

一番の目当てだった紅葉と 自然歩道を歩けたこと それでよしとする。 あまり沢山の仏さまを見ると 心に残らないまま終わってしまうからね。

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湖東三山 金剛輪寺 里を歩く

2007-11-13 14:00:00 | 旅行記

百済寺は山の中にある。 だらだらと下っていくと いつの間にか里の風景に変わってきた。全行程 湖東三山自然歩道を歩いていく。

青空に柿が似合う。と前から思っていたけれど この里には柿のオレンジやススキの穂が実によく似合う。 な 何だ? お化けススキだぁ こんなに大きなススキ見たこと無いよ。 屋根まで届きそうな大きなススキだよ。

Sato Susuki

自然歩道は 名神高速道路に面してあるので 高速道路をいったり来たりする様に歩く。 道はやがて広いいなかのたんぼ道を行く。 のんびりした気分で歩けるけれど 退屈と言えば退屈かな

名神高速道路をくぐり又に入る。何という名前のだろう? 小さくて直ぐに林に入ってしまったけれど なんだか美しい様子。

Buraku

Sazanka 柱に赤い塗料が塗ってある。

質の良い木を使っているのを 贅沢と咎められないように 赤く塗って不良品としたと聞いたことがあるけれど 岐阜の関ヶ原近辺から滋賀県にはこんな家が多い。

京都の紅殻格子のようにも見えて 少し華やか。

又いなかの田園風景が広がって高速道路を右に歩いていくと前方に小さなこんもりした土盛りがいっぱいある公園に出る。

Tahata Kofunkouen 5-6基あるだろうか? こんもりの正体は古墳

ここでは 特に柵があるわけではなく 古墳の展示場の様にあるだけ。

この頃の人 一人一人に古墳を作っていたとは思えないけれど あちこちに無造作に並んでいる。

この辺りが真ん中当たりかな?と思えたので おにぎり一つ食べて 休憩。

古墳を過ぎると今度はだいぶん大きなに出る。 車も通って少し賑やか。 もう一度高速道路をくぐると金剛輪寺 立派な山門をくぐる。

Kongourinjisanmon 「聖観世音菩薩」とある。赤い大きな提灯。聖観世音菩薩はこの寺を開山した行基の作による物でご本尊となっている。 祈祷寺として栄えやがて天台宗のおてらになるが 創建時は坊舎100余あったそうだからここもかなり大きなお寺だったと言える。 歩いていくと所々に 跡だと思われる敷地が見える。

Kongousandou

歴史をひもといてみると 木曾義仲討伐の源の義経が勝利祈願に訪れたとか 元寇に苦しむ北条時宗の命を受けて祈願をしたとか 応仁の乱跡に佐々木六角氏や京極氏の宿陣になったり・・・

隣の百済寺と同じく 信長の焼き討ちにあったのだけれど 幸い 本堂 三重の塔 二天門は残ったのだと・・・幸いでした。

今では荘厳なお寺と言うよりは 美しいお寺という感じがするのは私だけでは無いらしく 今では花の寺として訪れる人を楽しませてくれる。 今回は紅葉だ。

綺麗な石畳の参道を登っていくと左側に桃山 江戸初期 江戸中期の時代を通して作られた庭がある。 確かにそれぞれの時代の庭の作り方は違っていて それを比べながら見て歩くのも嬉しい。

江戸初期の庭の山腹の紅葉は 「血染めの紅葉」として有名。 言い伝えに寄ると行基がご本尊を刻んでいたときご本尊は赤い血を流しておられたらしく その血で染めたような紅葉と言うことらしい  でもあんまり気持ち良い名前じゃないな。 綺麗な物には綺麗なエピソードで伝えたい。

Momiji5 Tikurin

 一周して参道に戻り 又登っていく。 参道には沢山のお地蔵様。 風車がお供えされていて 風にからからと回っている。よだれかけも真新しく これは信徒さんの寄進による物で年に三度お化粧直しするのだとか・・・

Sentaijizou Sentaijizou_2

しかし 一斉に風車回っている姿をどう見たらいいのだろう?

見慣れないので少し怖いけれど 何か意味があるのだろうか?

やがて戦渦を免れた二天門へ 百済寺にもあったけれど 大きな大きな草鞋が 門に飾ってある。 編み目にはお金がいっぱい差し込んである。 これは一種のお布施? 草鞋は七難即滅の願いをかける物らしい。

Zouri

登山靴を履いているので 本堂に入るのをためらわれたけれど 沢山の仏さまに会えると言うことで決心して靴を脱ぐ。

ご本尊は秘仏なので厨子の中 本堂を一周して 阿弥陀様11面観音などを見て歩く。 どのお顔もふっくらと優しい。

11面観音 裏の方に無造作に展示されていたのにびっくり レプリカかと思ってしまった。

堂内は撮影禁止だから 優しいお顔を見てもらう事できないけれど 元々いろんな方向から見ていただくのが良いし 仏さまとお話するのが意に決まっているのだから ま いいかぁ

Kongouhondou Sanjyuunotou

ここで 黒門まで戻って次のお寺西明寺に出かける。

山の中を歩いていくコースだ。

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紅葉の湖東三山 百済寺

2007-11-13 12:00:00 | 旅行記

滋賀県は私の大好きな県の一つ。 アンケート取ると 県の殆どが湖で人が暮らす土地が無いとか ひどいこと言われるのだけれど・・・

最近 あまり人が行かない小さな里も含めて 訪問していると この土地は 歴史深く 歴史の本でも読んでいるような わくわくした気持ちを抑えられないエリアだ。

考えてみれば 湖があり 山があり 近江平野があり 古代の人々が暮しを営むために選んだ場所となるのは 当然だと思う。

でも今回は 湖東三山の訪問 前から紅葉が綺麗だと聞いていたし 聖徳太子 行基等が開いたお寺と聞くと どうしても一度行かないと と思っていた。 凄いくないですか? 奈良時代の古刹が 今でも近江の地で その教えを その美しさを 伝えているのですよ

一昨日彦根へ行ったときに湖東三山の案内があるのを見ていたので 思ったより近くにあることを知っていた 永源寺と間違えていたから

彦根から多賀大社方面へ行くこと30分ぐらいだったかな 少し山道を登って まず百済寺  これ何故か くだらじとは言わないんだよね。

推古天皇の時代に聖徳太子の御願により 百済人の為に作られたお寺。 あ 民衆の為のお寺じゃぁ無いんだ。 確かに その時代は百済人 高麗人などいわゆる外人は文化の薫り高く いろんな事を教えてくれた大事な人々だったろうし 言ってみればお客人をもてなすためのものだったのかもしれない。

山の中腹から 長い長い階段を上っていく。 百済人の為に作られたこの寺もはじめは小さなお寺だったかもしれない。立ち入り禁止になっていたけれど 小さな敷地で 本堂跡と言うのが見えた。やがて全山三百余坊となり 天台宗のお寺として「湖東の叡山」として栄えたらしい。 ルイス フロイスの本にもこの寺の美しさが出ているらしい。 

Hyakusandou Hyakusanmon

それにしても気持ちの良い参道である。1400年の歴史があれば 木々も立派に育っているわけで 見上げるような大きな木がいっぱい。 参道にはあまり紅葉が見られないけれど ここ紅葉の名刹?

こんなに立派なお寺も 天正元年に衰亡。 あの織田信長と大きな関係がある。佐々木義治など織田方に対抗した鯰江城に入った時 当山宗徒はその妻子をこの寺で守った。それを知った織田信長の逆鱗に触れて一山ことごとく焼き尽くしたらしい。

Noppo

いつも言われることだけれど 本当に残酷で 恐れを知らない悪行だ。やがて信長も本能寺に倒れ その後この寺も残った仏像を元に再興されたけれど もはや昔の様には行かない。

井伊家 春日の局などいろんな人の力を持って再興して現在の百済寺になっているらしい。大伽藍では無いけれど 山の中にひっそり佇む素敵なお寺だ。

Sennenbodaijyu 本堂の庭に入ると 千年菩提樹がある。 幹の根元を見ると信長に焼かれた当時の幹が残っている。丈80センチ程だろうか?

ここまで焼き尽くされた菩提樹も幸い熱が芯の所まで行かなかったらしく やがて新しい命を吹き返した。 これ凄いことだし 命の強さ 尊さみんなに教えてくれている気がするね。

Hondoukouyou2

Hondouniwa

この庭は 小さいながら実に美しい。まだ少々早いらしいけれど 紅葉がいけに映ってその様を暫く見とれていた。

ここから3メートルほど登るだけで 展望地がある。 築山の一角だ。 ここに登ると びっくり 近江平野が見えるではないですか? 写真ではわからないけれど 比叡山も見える。安土城址も見える。

そして嬉しかったのは 今年春に登った猪子山 繖山 そして最近登った太郎坊山が見えること。 この展望は 昔の人も見ていたものかもしれないと思って どきどきしたよ。 あまり高い建物無くて 良い感じだったからね。

さて 次は 金剛輪寺

地元で作られた三山を回る散策路をひたすら歩くことになる。全行程十数㎞

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