23日金曜日は 私の仕事が休みの日。 祭日と重なった。こういう事は滅多にない。
亭主殿がカレンダーに赤丸を付けて待っている。ちぇっ 面倒見るのか・・・・と内心思いつつ 二人でいけるところを探す。
この日名鉄のハイキングで馬籠から妻籠コースがあることを思い出した。これは丁度適当なコースだ。しかし 家からそう遠くないのに わざわざ名古屋まで出かけて参加することもないさと マイカーで 行くことを決める。
東海道も 中山道も だいたい近くに線路が走っている。 中山道は中央線 東海道は東海道線。 ところが 妻籠から馬籠の間は 駅から行くには割合不便 車で行っても電車が使えないので ピストンを余儀なくされるのか?と 少し諦めていた。 しかし バスが沢山出ていることがわかったので 安心して中山道を歩ける。
祭日だもの 沢山の人 恵那の辺りから大渋滞。 幸いひっかからないで 中津川を降りる。恵那山が白く雪化粧して綺麗。 これは期待できる。 馬籠で駐車場に迷い(まだたくさんあった。あまりありすぎて何処において良いやら)馬籠の宿の上の方に置いてしまった。 ここから妻籠まで歩いて 乗り合いバスにのって戻り 馬籠の宿を散策して帰ることにする。
家から割合近いこともあって 駐車場はまだがらがら。何処において良いかわからないので 陣馬の東屋の脇に駐める。 恵那山真正面
陣馬は馬籠の宿の上の端に当る。おそば屋さんの前に高札場がある。何時の時代の物を再現した物だろうか?一気にタイムスリップしたような気分になる。
石畳の道を上っていって民家の庭を通る。 いや~ 今日は沢山のひとだもの迷惑なことだろうね。
ずっと石畳の道に誘われて進む。 しかし待てよ。どう考えてもこの道新しい。 一気に冷める。全体に 特に馬籠では作られた古い町という気がしてならなかった。 復元は元々そうなるので仕方ないのだけれど 少し違和感
もう一つ悩まされたのが 中山道があちこちで寸断されていたこと。少し良い気分で歩いていると 直ぐに自動車道路に出会う。 平成と江戸の出会い~とは思えない。恵那山の脇を通る東山道もそうだった。 地元のくらしが大事 でももう少し何とかならなかったのかな?
この前の道は梨の木坂と言うけれど 梨植わっているのかな?丁度渋柿の収穫をしていた。 とてもおいしそうだけれど渋柿 皮をむいて吊す。 寒風にさらされて 時々揉まれて柔らかく甘くなる。
双体道祖神は 月日を経てよく見えなくなっている。
農家の軒先に腰掛けて何かを食べている人がいた。 何もこんな人のうちの軒先でご飯食べなくても~ と思いきや 農家でふかし芋を売っているのだった。何とも商魂たくましい。
と言っても私達も1個だけ買って 直ぐ先の東屋で半分こ。 ここで ポットのお湯で珈琲を淹れる。今回は 何でも買えると思ってお茶さえ買ってくるのを忘れた。
この辺り峠の集落。昔民間の輸送に使われていた牛「岡舟」の仕事に関わっていた人々の集落。1762年の大火で焼けてしまったらしい。その後火事も起きていないので 結構沢山のうちが連なっている。
山あいの小さな集落だけれど 何か懐かしい。 ここで今も生活を営んでいることに 感動さえ覚える。
ここから更に登っていくと馬籠峠に出る。
馬籠峠 昔の旅人を悩ませた難所の一つだけれど 近年頂上を十数メートル削ったんだとか???? へっ どうして?
十数センチじゃそう楽な道になったとは思えないし・・・
峠からの景色は美しい。丁度見頃の紅葉は 日の光を受けて輝いていた。
特に見える山は南木曾だろうか?
去年登って 私の山登りの考え方を根底から揺るがすことになった山。 山登りのスタイルの転機になった山。
そんなことを考えていた。 後であの山は伊勢山1373メートルとわかる。