金剛輪寺を出て暫く あまり記憶が無い 地図によると松尾寺の当たりから右折して里の風景を楽しみながら歩いたはずなのだけれど・・・気づいたときには 山の迫る大きな田畑の際にいた。 道は田畑を迂回して大きく曲がっている。良く見るとまっすぐ畔道を進んでも 同じ所に出そう。 少し迷って小川沿いに畔道を歩くことにした。
ついたところは 猪よけのゲートがある山への入り口。 どんな仕掛けがあるかっていうと ただのかんぬきに もう一つわっかがはまっていてそのわっかを持ち上げながらかんぬきを外さないと ゲートが開かない仕組み。 まさに知恵の輪。 (しまった 写真撮ってくるんだった)
向こう側が見えないので 少々苦戦。しかし ここまで難しい知恵の輪仕組まなくても猪は開けられないでしょうに・・・猿もふつうは無理だと思うよ あ! ひょっとしたら人間様?
でも後から思うに 出口にはこの知恵の輪が無かったような・・・ 片手おちでしょっ!
この林間歩道 特に特徴は無く 木の階段をひたすら登ったり下りたりの繰り返し。初夏の緑とか 花の季節には楽しいかもしれないけれど 森林浴と思えばこれもありかな?
時々 滑りそうな所もあったけれど おおむね山の散策路で 20分も歩かないうちに 突然目の前が開けて バスが駐まっている駐車場に
西明寺の駐車場だった。
さて西明寺 百済寺が飛鳥時代 金剛輪寺が奈良時代 そして西明寺は平安時代 時代時代に作られてきたこのお寺は 三修上人が開創されたとか
平安 鎌倉 室町の各時代を通じて祈願道場 修行道場として栄えていて山内には 17の諸堂 三百の僧坊があったと言うから やはり大きな物だった。
私達は 歴史を見るとき どちらかというといつも中央を見ている。 そんな情報が溢れているから そんな情報しか手に入らないから・・・ 考えてみると ずいぶんゆがんだ歴史を見ているのかもしれない。
ここでも当然ながら信長の焼き討ちにあったのだけれど 幸い 国宝第一指定の本堂 三重の塔 二天門が火難を免れている。
湖東三山は どのお寺も江戸時代に 天海僧正等の力を借りて復興されている。
山門からは 美しい苔の道が広がっている。
何度も何度も振り返ってみる。 僧坊の跡地なのだろうか?今は静に 時の流れの中にある。
少しずつ苔道に面した石段を登っていくと おおきな千年杉に出会う。 せんねんかぁ? 開創されたのが834年だから ほぼこの寺の歴史とともにある杉なんだね?
本堂へ向かう前に左にそれて庭を見てくる。
考えてみたら 湖東三山 みんなレイアウトが一緒だな。 似たように時代にできたからかな?庭はかなり豪華。 ここは蓬莱庭と言われる庭で薬師如来 日光 月光の仏さまを表わす立石 十二神将を表わす石組みがあって 心字池には折り鶴の鶴島と亀島がある。
不断桜もある。 私の家から豊田の町を越えて小原まで行くと 紅葉と一緒に咲く四季桜というのがあるのだけれど あれと一緒なのだろうか?
庭を出て 二天門より本堂へ登っていく。あまりに似ていて さっきのお寺と勘違いしそう。
この本堂にも沢山の仏さまがいらっしゃるのだけれど 今回は素通り。
パンフレットで見ると 素朴なお顔の仏さまだった。
ちょっと惜しいことしたかな?
一番の目当てだった紅葉と 自然歩道を歩けたこと それでよしとする。 あまり沢山の仏さまを見ると 心に残らないまま終わってしまうからね。