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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

湖東三山 西明寺 山道を歩く

2007-11-13 16:00:00 | 旅行記

金剛輪寺を出て暫く あまり記憶が無い 地図によると松尾寺の当たりから右折して里の風景を楽しみながら歩いたはずなのだけれど・・・気づいたときには 山の迫る大きな田畑の際にいた。 道は田畑を迂回して大きく曲がっている。良く見るとまっすぐ畔道を進んでも 同じ所に出そう。 少し迷って小川沿いに畔道を歩くことにした。

ついたところは 猪よけのゲートがある山への入り口。 どんな仕掛けがあるかっていうと ただのかんぬきに もう一つわっかがはまっていてそのわっかを持ち上げながらかんぬきを外さないと ゲートが開かない仕組み。 まさに知恵の輪。 (しまった 写真撮ってくるんだった)

向こう側が見えないので 少々苦戦。しかし ここまで難しい知恵の輪仕組まなくても猪は開けられないでしょうに・・・猿もふつうは無理だと思うよ あ! ひょっとしたら人間様?

でも後から思うに 出口にはこの知恵の輪が無かったような・・・ 片手おちでしょっ!

Rinkanhodou Rinkanhodou2

この林間歩道 特に特徴は無く 木の階段をひたすら登ったり下りたりの繰り返し。初夏の緑とか 花の季節には楽しいかもしれないけれど 森林浴と思えばこれもありかな?

時々 滑りそうな所もあったけれど おおむね山の散策路で 20分も歩かないうちに 突然目の前が開けて バスが駐まっている駐車場に

西明寺の駐車場だった。

さて西明寺 百済寺が飛鳥時代 金剛輪寺が奈良時代 そして西明寺は平安時代 時代時代に作られてきたこのお寺は 三修上人が開創されたとか

平安 鎌倉 室町の各時代を通じて祈願道場 修行道場として栄えていて山内には 17の諸堂 三百の僧坊があったと言うから やはり大きな物だった。

私達は 歴史を見るとき どちらかというといつも中央を見ている。 そんな情報が溢れているから そんな情報しか手に入らないから・・・ 考えてみると ずいぶんゆがんだ歴史を見ているのかもしれない。

ここでも当然ながら信長の焼き討ちにあったのだけれど 幸い 国宝第一指定の本堂 三重の塔 二天門が火難を免れている。

Sanmon Sandou

湖東三山は どのお寺も江戸時代に 天海僧正等の力を借りて復興されている。

山門からは 美しい苔の道が広がっている。

何度も何度も振り返ってみる。 僧坊の跡地なのだろうか?今は静に 時の流れの中にある。

少しずつ苔道に面した石段を登っていくと おおきな千年杉に出会う。 せんねんかぁ? 開創されたのが834年だから ほぼこの寺の歴史とともにある杉なんだね?

Kokeniwa Sennensugi

本堂へ向かう前に左にそれて庭を見てくる。

考えてみたら 湖東三山 みんなレイアウトが一緒だな。 似たように時代にできたからかな?庭はかなり豪華。 ここは蓬莱庭と言われる庭で薬師如来 日光 月光の仏さまを表わす立石 十二神将を表わす石組みがあって 心字池には折り鶴の鶴島と亀島がある。

Houraitei Sinjiike

Sitidanka Yuzusenryou

不断桜もある。 私の家から豊田の町を越えて小原まで行くと 紅葉と一緒に咲く四季桜というのがあるのだけれど あれと一緒なのだろうか?

庭を出て 二天門より本堂へ登っていく。あまりに似ていて さっきのお寺と勘違いしそう。

Nitenmon Hondoukarasanjyuunotou  

この本堂にも沢山の仏さまがいらっしゃるのだけれど 今回は素通り。

パンフレットで見ると 素朴なお顔の仏さまだった。

ちょっと惜しいことしたかな?

一番の目当てだった紅葉と 自然歩道を歩けたこと それでよしとする。 あまり沢山の仏さまを見ると 心に残らないまま終わってしまうからね。

コメント (6)
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湖東三山 金剛輪寺 里を歩く

2007-11-13 14:00:00 | 旅行記

百済寺は山の中にある。 だらだらと下っていくと いつの間にか里の風景に変わってきた。全行程 湖東三山自然歩道を歩いていく。

青空に柿が似合う。と前から思っていたけれど この里には柿のオレンジやススキの穂が実によく似合う。 な 何だ? お化けススキだぁ こんなに大きなススキ見たこと無いよ。 屋根まで届きそうな大きなススキだよ。

Sato Susuki

自然歩道は 名神高速道路に面してあるので 高速道路をいったり来たりする様に歩く。 道はやがて広いいなかのたんぼ道を行く。 のんびりした気分で歩けるけれど 退屈と言えば退屈かな

名神高速道路をくぐり又に入る。何という名前のだろう? 小さくて直ぐに林に入ってしまったけれど なんだか美しい様子。

Buraku

Sazanka 柱に赤い塗料が塗ってある。

質の良い木を使っているのを 贅沢と咎められないように 赤く塗って不良品としたと聞いたことがあるけれど 岐阜の関ヶ原近辺から滋賀県にはこんな家が多い。

京都の紅殻格子のようにも見えて 少し華やか。

又いなかの田園風景が広がって高速道路を右に歩いていくと前方に小さなこんもりした土盛りがいっぱいある公園に出る。

Tahata Kofunkouen 5-6基あるだろうか? こんもりの正体は古墳

ここでは 特に柵があるわけではなく 古墳の展示場の様にあるだけ。

この頃の人 一人一人に古墳を作っていたとは思えないけれど あちこちに無造作に並んでいる。

この辺りが真ん中当たりかな?と思えたので おにぎり一つ食べて 休憩。

古墳を過ぎると今度はだいぶん大きなに出る。 車も通って少し賑やか。 もう一度高速道路をくぐると金剛輪寺 立派な山門をくぐる。

Kongourinjisanmon 「聖観世音菩薩」とある。赤い大きな提灯。聖観世音菩薩はこの寺を開山した行基の作による物でご本尊となっている。 祈祷寺として栄えやがて天台宗のおてらになるが 創建時は坊舎100余あったそうだからここもかなり大きなお寺だったと言える。 歩いていくと所々に 跡だと思われる敷地が見える。

Kongousandou

歴史をひもといてみると 木曾義仲討伐の源の義経が勝利祈願に訪れたとか 元寇に苦しむ北条時宗の命を受けて祈願をしたとか 応仁の乱跡に佐々木六角氏や京極氏の宿陣になったり・・・

隣の百済寺と同じく 信長の焼き討ちにあったのだけれど 幸い 本堂 三重の塔 二天門は残ったのだと・・・幸いでした。

今では荘厳なお寺と言うよりは 美しいお寺という感じがするのは私だけでは無いらしく 今では花の寺として訪れる人を楽しませてくれる。 今回は紅葉だ。

綺麗な石畳の参道を登っていくと左側に桃山 江戸初期 江戸中期の時代を通して作られた庭がある。 確かにそれぞれの時代の庭の作り方は違っていて それを比べながら見て歩くのも嬉しい。

江戸初期の庭の山腹の紅葉は 「血染めの紅葉」として有名。 言い伝えに寄ると行基がご本尊を刻んでいたときご本尊は赤い血を流しておられたらしく その血で染めたような紅葉と言うことらしい  でもあんまり気持ち良い名前じゃないな。 綺麗な物には綺麗なエピソードで伝えたい。

Momiji5 Tikurin

 一周して参道に戻り 又登っていく。 参道には沢山のお地蔵様。 風車がお供えされていて 風にからからと回っている。よだれかけも真新しく これは信徒さんの寄進による物で年に三度お化粧直しするのだとか・・・

Sentaijizou Sentaijizou_2

しかし 一斉に風車回っている姿をどう見たらいいのだろう?

見慣れないので少し怖いけれど 何か意味があるのだろうか?

やがて戦渦を免れた二天門へ 百済寺にもあったけれど 大きな大きな草鞋が 門に飾ってある。 編み目にはお金がいっぱい差し込んである。 これは一種のお布施? 草鞋は七難即滅の願いをかける物らしい。

Zouri

登山靴を履いているので 本堂に入るのをためらわれたけれど 沢山の仏さまに会えると言うことで決心して靴を脱ぐ。

ご本尊は秘仏なので厨子の中 本堂を一周して 阿弥陀様11面観音などを見て歩く。 どのお顔もふっくらと優しい。

11面観音 裏の方に無造作に展示されていたのにびっくり レプリカかと思ってしまった。

堂内は撮影禁止だから 優しいお顔を見てもらう事できないけれど 元々いろんな方向から見ていただくのが良いし 仏さまとお話するのが意に決まっているのだから ま いいかぁ

Kongouhondou Sanjyuunotou

ここで 黒門まで戻って次のお寺西明寺に出かける。

山の中を歩いていくコースだ。

コメント (2)
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紅葉の湖東三山 百済寺

2007-11-13 12:00:00 | 旅行記

滋賀県は私の大好きな県の一つ。 アンケート取ると 県の殆どが湖で人が暮らす土地が無いとか ひどいこと言われるのだけれど・・・

最近 あまり人が行かない小さな里も含めて 訪問していると この土地は 歴史深く 歴史の本でも読んでいるような わくわくした気持ちを抑えられないエリアだ。

考えてみれば 湖があり 山があり 近江平野があり 古代の人々が暮しを営むために選んだ場所となるのは 当然だと思う。

でも今回は 湖東三山の訪問 前から紅葉が綺麗だと聞いていたし 聖徳太子 行基等が開いたお寺と聞くと どうしても一度行かないと と思っていた。 凄いくないですか? 奈良時代の古刹が 今でも近江の地で その教えを その美しさを 伝えているのですよ

一昨日彦根へ行ったときに湖東三山の案内があるのを見ていたので 思ったより近くにあることを知っていた 永源寺と間違えていたから

彦根から多賀大社方面へ行くこと30分ぐらいだったかな 少し山道を登って まず百済寺  これ何故か くだらじとは言わないんだよね。

推古天皇の時代に聖徳太子の御願により 百済人の為に作られたお寺。 あ 民衆の為のお寺じゃぁ無いんだ。 確かに その時代は百済人 高麗人などいわゆる外人は文化の薫り高く いろんな事を教えてくれた大事な人々だったろうし 言ってみればお客人をもてなすためのものだったのかもしれない。

山の中腹から 長い長い階段を上っていく。 百済人の為に作られたこの寺もはじめは小さなお寺だったかもしれない。立ち入り禁止になっていたけれど 小さな敷地で 本堂跡と言うのが見えた。やがて全山三百余坊となり 天台宗のお寺として「湖東の叡山」として栄えたらしい。 ルイス フロイスの本にもこの寺の美しさが出ているらしい。 

Hyakusandou Hyakusanmon

それにしても気持ちの良い参道である。1400年の歴史があれば 木々も立派に育っているわけで 見上げるような大きな木がいっぱい。 参道にはあまり紅葉が見られないけれど ここ紅葉の名刹?

こんなに立派なお寺も 天正元年に衰亡。 あの織田信長と大きな関係がある。佐々木義治など織田方に対抗した鯰江城に入った時 当山宗徒はその妻子をこの寺で守った。それを知った織田信長の逆鱗に触れて一山ことごとく焼き尽くしたらしい。

Noppo

いつも言われることだけれど 本当に残酷で 恐れを知らない悪行だ。やがて信長も本能寺に倒れ その後この寺も残った仏像を元に再興されたけれど もはや昔の様には行かない。

井伊家 春日の局などいろんな人の力を持って再興して現在の百済寺になっているらしい。大伽藍では無いけれど 山の中にひっそり佇む素敵なお寺だ。

Sennenbodaijyu 本堂の庭に入ると 千年菩提樹がある。 幹の根元を見ると信長に焼かれた当時の幹が残っている。丈80センチ程だろうか?

ここまで焼き尽くされた菩提樹も幸い熱が芯の所まで行かなかったらしく やがて新しい命を吹き返した。 これ凄いことだし 命の強さ 尊さみんなに教えてくれている気がするね。

Hondoukouyou2

Hondouniwa

この庭は 小さいながら実に美しい。まだ少々早いらしいけれど 紅葉がいけに映ってその様を暫く見とれていた。

ここから3メートルほど登るだけで 展望地がある。 築山の一角だ。 ここに登ると びっくり 近江平野が見えるではないですか? 写真ではわからないけれど 比叡山も見える。安土城址も見える。

そして嬉しかったのは 今年春に登った猪子山 繖山 そして最近登った太郎坊山が見えること。 この展望は 昔の人も見ていたものかもしれないと思って どきどきしたよ。 あまり高い建物無くて 良い感じだったからね。

さて 次は 金剛輪寺

地元で作られた三山を回る散策路をひたすら歩くことになる。全行程十数㎞

コメント (6)
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