Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

桜はらはら

2005-04-13 12:54:43 | 日記・エッセイ・コラム
いつも行っている病院は 患者さんの気持ちを和ませる目的なのか たくさんの花の木が植えられている。
元々お屋敷なので 母屋の方にもたくさんの花が咲き誇っているけれど 駐車場にも季節の花がいろとりどり
今は木蓮 朱木蓮も春の別れを告げている。
駐車場を彩っているのは 桜
たった二本だけれど 大きく育って たくさんの花をつけている。
昨日は 雨  今日は青空が広がっているけれど 昨日雨にうたれた桜は さやさやと吹く風に 舞っている。
駐車場は ピンク   花びらの絨毯
花びらは風を受けて 吹きだまり また風を受けて 花の輪を作って動いていく。
しばし見とれている。
寂しい風景ともいえるけれど 花びらと風はいかにも軽やか
お掃除のお手伝いさんが ゴミ袋いっぱいになった桜の花びらを見て苦笑
いったいいくつできることやら? 
診察から戻ったら 車のフロントガラスは花びらでいっぱい。
ワイパーを使って花を取り除くけれど もったいないような木がして
春の序曲は 確実に終わって だんだんに緑の季節になっていく。

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花散らし

2005-04-12 21:43:04 | 日記・エッセイ・コラム
一気に咲いた桜を愛でる暇もなく 雨
一歩町に出れば おやまあ こんなに桜が咲いていたと思っていたけれど 今日は道路がピンクに染まっている。
今年は 感動できる桜に出会わないで来てしまって残念
今日は 昼から雨が上がると聞いていたので 昼からぶらりと桜を見に行く予定だったのにね。
桜に縁はなかったけれど 各地で水芭蕉の頼り。
今週は 稲武の城が山に行けたら良いな!  水芭蕉がいっぱい花をつけている写真が公開されていた。

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カタクリの花

2005-04-08 15:49:25 | 日記・エッセイ・コラム
変な話をします (いきなり だいたひかる調)
私はカタクリの花を長い間 料理の飾りに使っているあのピンクの清楚な花と思っていました。
子供の時から時々利用していた料理屋さんは 季節感を出すために いつも桜の小枝とか カタクリの花とかを お皿に渡して 飾っていたからです。 
「これはなんの花?」
「カタクリだよ」
「えーっ? 片栗粉の花は こんなに可愛いの?」
そう 驚いたものの 片栗粉がどうやってとれるかも知らないし どんな風に咲いているのかも知りませんでした。
片栗粉を そういえば小学校の実験で作ったことがあります。 そのときはジャガイモをひたすらすって 水にさらし 沈殿したデンプンを 乾かしてこれが片栗粉と教えられた思い出があります。
だから きっとカタクリの根っこを すり下ろして デンプンをとるに違いありません。
天然のくずをとっているときもそんな風でした。
それにしてもカタクリからデンプンをとるためには あの可愛らしい花から想像できるような小さな根っこではどれだけもとれるはずもなく だから今では ジャガイモからとっているんだ と一人で納得していました。
今年 暖冬だったにも関わらず 遅くに雪が降ったおかげでしょうか 春の花が比較的遅く ニュースで石巻の城山のカタクリを知ったときには 仕事が押していて 見に行く計画を立てる余裕はありませんでした。
そんな時 新聞で足助のカタクリのことを知って 渡りに船とばかりに仕事前に出かけました。
そういえば 足助のカタクリは有名だったんだ。
でも飯盛山に一角に人がいっぱい押し寄せて見られないような様子だったら嫌だな と思っていました。
何たって足助の紅葉の頃は 地元の人は仕事にもでられないくらいひどい混雑ですから。
でも良かった。 天気予報が雨だったことも幸いしてさほど人も多くない。
道路からも 山がピンク色に見えるほどの カタクリの群生。
katakurigunsei
近づくと 可愛らしい花をちょっと持ち上げたり 恥じらいで下を向いたり どの表情も可愛らしいカタクリ
紅葉と同様 ここのカタクリは自生ではなく 植えられた物だとか
ちょっとがっかりしたような それでも ここまで育てていらした地元の人々の熱意に感謝したいような。。。
山がピンクになるまでのカタクリ 凄いよね。
この日は気分良くなってしまって 飯盛山に登り さらに 真弓山に登り 気持ちの良い半日を過ごしたよ。

カタクリの花 思ったよりでかくて 葉っぱとのバランスが変だけど 根っこはすごーくはっているんだろうか?

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さようなら ありがとう

2005-04-02 11:26:14 | 日記・エッセイ・コラム
先日 岐阜に行く機会があって電車を降りた時のこと。 実家まで行くにはバスで10分ほど揺られないといけない。
時間までを ゆっくりデパートで買い物をしながら過ごし 外に出てきて いつもと違う異変に気づく。
カメラ小僧が多い。 親子のカメラ小僧もいる。
電車に立ちはだかって 写真をパチリ!  親子で同じポーズでパチリ!
「おいおい 同じ趣味を教えるのは良いけれど マナーとか交通安全とか もっといろんなこともおしえんかい!」
と思ってみていた。 
それに撮っている物がなんだか解せない。
特に美しい電車や バスではない。 いつもと同じ。
そういえばもう少しで 岐阜祭り。 そのときなら 花で飾った電車もでていたかも知れない。
答えは バスに乗ってから分かった。
岐阜バスは 3月31日をもって55年の歴史に幕を下ろしたのだった。
今まで市営バス 岐阜バス 名鉄バスなどが岐阜の町を走っていたけれど ほとんどが会社によって走り分けをしていたので 岐阜バスが撤退するとは思ってもいなかった。
思えば高校生の時は このバスに乗って岐阜の南から北まで通っていたので 本当によくお世話になった。
やすい運賃で本当に助かっていた。
通学帯には  学校まで回り道しないで行けるバスも 何本か増発されていて 我が家で父や母が長い間車を持たなかったのは このバスのおかげかも知れない。  便利だったから。
運転手さんは いつもよりにこやかに 降りる人に一人一人挨拶をしている。
「長い間ありがとうございました。」
「こちらこそ ありがとうございました。 ご苦労様でした」
そんなやりとりが続く。
降り際に丁寧なご挨拶と パンフレットが渡される。 市営バスの今までの歴史と 切って組み立てるとバスができるキットがついている。
だんだん感極まってくる。
寂しいな!  本当にありがとう。
折しもこの日は名鉄が 市内を走るチンチン電車にも幕を下ろしていた。


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