島原半島を東側に降る。
ここから湾岸の道を辿りながら 半周して諫早に着く予定。
「島原城に寄っていこう」 えっ? お城いけるの?
残念ながら九州のお殿様はあまり馴染みが無くて どんな城なのかも想像できないけれど 島原の乱 天草四郎など少ない知識で想像をしながら見て見ましょう。
普賢岳山麓にあるこの地は森岳と言うらしいのだけれど 奈良県からやってきた有馬氏がここに島原城を築く。
以後松倉氏 高力氏 松平氏 戸田氏と4氏19代の居城として栄えてきたようです。
松平氏は隣町の幸田町深溝(ふこうず)の出身です。 ちょっと身近に感じたりして・・・・
島原の乱と言えば 弾圧されたキリスト教徒の反乱のように思っていたけれど 簡単には言えない長い歴史があったようです。
関ヶ原の乱で西軍についたキリシタン大名有馬氏 天草の小西行長などのあたりからこの地が標的にされていたのでしょうか?
有馬氏は 本多正純の家臣にだまされてポルトガル船を撃沈 長崎奉行を襲うなどでとらえられてしまいます。 子どもが跡を継ぐことを許されたものの有馬晴信は切腹です。
やがて松倉氏の時代になると弾圧はもっときつくなります。
その上ひどい凶作 地震 津波が続き 税金の取り立てはますます厳しくなり・・・・
もともとキリスト教徒であると言うことで残虐な仕打ちを受けていたようで(身体に火を付けられたり 雲仙の火口に放り込まれたり)みんなの怒りが爆発するのは当然のことですね
細かい話はまだまだ続くのですが 我慢の限界を超えた信者達が一揆を起こしたと言うことのようです。
入り口ではおもてなし姫隊とでも言うのでしょうか? 何人かの女の人が立っていて説明をしてくれました。
5階建ての立派なお城ですが もちろん復元です。 明治になって廃城になっていますので一度解体されています。 市民の熱い思いで本丸が復元されたのが昭和39年のことだそうです。
さっきほどでは無いとしても霞んでいてよくわかりません。
しかし 険しそうな山が迫っていることが解ります。
噴火の時はいかばかりか・・・・・
島原は水の都だそうです。
市内に60箇所も湧水ポイントがあるのだそうです。
普賢岳の恵みですね?
富士山にも柿田川湧水など美しい水の湧く場所があります。
少し回ってみます。
こんこんと水の湧き出る池を庭に持つ四明荘 湧水庭園として解放されています。池は三つあるのですが 一日の湧水量は約1000トンだって
凄いよね
そんなに大きな庭じゃ無いよ。 ちょっと大きめの民家って感じですから
水の上に浮いているようです。
白土湖 われん川 浜の川湧水 水頭の井戸 しんわの泉 水屋敷 武家屋敷水路・・・・まだまだ続きますが 夕食をお嫁ちゃんの家族と約束をしているので急がねばなりません。
有明海から諫早湾を回って諫早に急ぎます。