駅に戻りここからは更に北上。
太鼓の上に獅子舞の獅子をかぶっている幼子二人
どんな意味があるのかな?
観音寺から次のお寺までの距離2.5キロ
ただただ大通りを歩くのはつまらないけれど 時々こんな発見があったりして・・・・
私今年まで南天の実は知っていても花を知らなかった。
実家に帰って 玄関脇の植え込みに咲いている大げさでお世辞にも品があるとは思えない花を発見
母に聞いて南天と知る。 ちょっとショックだった。 赤い実は冬の景色に美しい色を添えているのに・・・・
よく見たら可愛いのに。。。と言うことにしておこう
気が滅入りそう
と 歩くの飽きた頃にひこっと左に曲ってその先に立派な山門が見えてきた。
ご本尊は如意輪観世音菩薩
そしてこのお寺には徳川家康の生母於大の方のお墓があった。
先日歩いたときに阿久比の町に於大の気配が色濃いのを不思議に思っていたけれど ここへ来て思い出した。
刈谷出身の於大の方は松平に嫁ぎ家康を生んだけれどやがて離縁されて 阿久比へ再嫁したのだった。
このお寺の由緒は凄いものだった。 まず開基は菅原道真の孫 菅原雅規
驚きでした。 この地で菅原道真の名前を聞くとは・・・・とても徳の高い人だったらしく 里人に愛された そのため 亡くなってからみんながその徳を偲び 夫妻の木像を作ったのだとか
そしてその木像を厨子に納め毎日順番に回送を この習慣が明治維新まで回り地蔵信仰としてこの地に残っていたという。
これって凄いことだよね 今その木像と厨子はお寺に安置されているらしいけれど
その後室町時代に 菅原雅規の後裔である久松貞益がこの寺を曹洞宗の寺として再建された。
それで於大の方である。
於大の再嫁した相手はこの久松家の俊勝だった。そこで生まれた子供たちは松平の姓を名乗り桑名城や 松山城の城主として世に出た。
於大の方がなぜ離縁されたのか詳しくは知らないけれど 政治的にどうしようも無かったのかもしれない。
松平の血は受け継いでいないけれど 家康と兄弟であることは間違いなく 配慮されたに違いない。
もちろんみんなできが良かったのでしょう。
おせんぼ
って不思議な言葉ですが毎年3月16日に 於大の方が女性の幸福招来を願って始めた観音鑯法会が行われるそうです。
政治のために女性としての幸せを貫けなかった於大の方ならではですね?
あ 鑯法会(せんほうえ)からおせんぼになったんだぁ
名前忘れちゃったけれど あの丸いばちで痛いところをさすると良くなるよ・・・・ていうやつです。
私 欲張りに頭と 胸と 膝を撫でておきました。 う~~んとぉ 忘れたところは無いかなぁ?
ん? お金? 何処を挿すって良いのか分らないので断念 おかげで今年も貧しい暮しを余儀なくされそうです。
於大の方等の墓はお寺の裏手に密かに眠っていました。
あまり案内もなく みんな間違えて森の奥まで入って行ってしまいます。
ご主人と 子どもに囲まれて今何を語らいあっているのでしょうか?
子どもの頃から聞いていた於大の方の生涯がここで分り何となく満足したお参りでした。
感慨にふけりながら次の札所を目指します。 ちょっとさかうち 今度は14番です。
二キロほどの行程です。