お城に向かって歩き始めるとすぐに蒲生氏郷の墓の道しるべが。。。蒲生氏郷 良く聞く名前だねぇ それもそのはず 私の住む東海地方にとてもゆかりのある人なんだから
滋賀県の日野の荘に生まれ織田信長に人質としてとられる。 信長にとても可愛がられて 娘との縁組みをするぐらい。
文武両道の人で 若くして亡くなったけれど氏郷の納めた城下はみんな栄えたように思います。 近江商人の町 日野 松阪上人の町 松阪 そしてこの会津若松 わざわざ会津若松というのは出身地の日野の若松の地名を付けたからでしょうか?
お墓は実は京都の大徳寺にもあります。今で言う分骨って言うのでしょうか?
36歳で会津若松の領主となり 40歳で亡くなる。そんな短い人生なのにやり遂げたことは計り知れなくて郷土の恩人とさえ言われているんだから凄い人ですね?
限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山嵐 辞世の句だそうです。
まだまだやりたいことたくさんあったでしょうね? そうそう唐突ですが千利休と深い交流があったことも有名だそうです。 私が京都にいたら 死なせずに済んだものを・・・と悔しがったそうですから 身を挺してでも秀吉から守ったでしょうね。
蒲生氏郷のことは書いていてもきりがないので先に進みます。
立派な町屋です。 格子が二階に施されているけれど きっと昔は下にもあったのでしょうね?
なぜかお札がいっぱい重ねられています。私のところでは 毎年古いものを大晦日に神社へ持って行って新しいものをいただきます。 ここではどんどん重ねていくのでしょうか? もっとも私の家のような小さな家では 置くところありませんしね。
入り口におまわりさんが立っていたので 警察署かと思ったら 市役所だそうでちょっと人口がわからないけれど 思ったより小さな役所です。
でも歴史の香りがいっぱいの建物でした。今はなかなか見られなくなりました。
さて この先を右折すればお城に続くはずです。
れれれ?
亭主が神隠しにあったかのように姿をくらましました。正体はこれです。
新酒の季節でもないのに 飲んべえさんにはそんなことは関係ありまへん。
酒造りの季節でもないので蔵はしーんとして稼働していません。 博物館のように色んな展示がしてありましたが。。。。一つだけ
こんな小さな風呂に入っていて狭くないのかなぁ? 朝寝朝酒朝湯が大好きで・・・・♪
幕末にいきた小原庄助さんは武士でもなく豪農という自由で豊かな暮らしをしていたので こんな生活ができたとか それでも戊辰戦争の時は 勇ましく戦って戦死。 西軍は会津藩にとても厳しく 埋葬さえも許さなかったそうで 小原一族は遺体をこそっと菩提寺に運んで無名のお墓を作ったのだそうです。だから墓碑銘が違っていたり 亡くなった日がちっがっていたり 色んな庄助さんのお墓があります。
とひとまわりして おきまりの聞き酒。 私は前にお酒の問屋に勤めていたんだけれど今じゃさっぱり縁がなくなったお酒は亭主に任せて 会津の郷土玩具などに興味津々。
で お酒や 焼酎 起き上がりこぼし など 大荷物を黒猫さんに頼んで やっとこさ 会津若松城に登城じゃ~