テムテムな日常

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認知症の理解

2007-11-09 | 介護職
職業柄、認知症の方及び認知症の家族をもつ方々と会う機会が多いのですが(というか、ほぼ毎日お会いします)、いつも思うのは、「認知症の正しい理解」ができるかどうかで、その方の在宅生活が大きく変わってくるということ。かなり認知症が進んでいたとしても、一緒に暮らしている人、まわりの人のきちんとした理解と介助があれば、充分在宅での生活を送ることができます。しかし、間違った理解やかかわりをされることにより、ますます孤独を深めてしまい、人間不信のような状態になっておられる認知症の方々を見かけることも多々あります。

もちろん、家族の方としては、認知症患者(という言い方もいかがなものかと思いますが)のそれこそ「輝ける時代」を知っているわけだから、かつての面影も消えうせた姿を見るのは忍びないと思いますし、受け入れがたい気持ちというのも分かる気がしますが・・・だけどそこで、自分の感情をいかに抑えて相手と接することが出来るか、ということが、患者さんの容態を大きく左右するのですよ。

普段私たちは無意識に時間軸・生活環境に合わせて生活をしていますが、認知症の方々というのはそういった「時間」「環境」「自意識」というものが私たちとは別の次元にうつってしまっているのです。

とある研修で「認知症体験」というものをやりましたが・・・やり方は簡単。2人組になって、ひとりは静かな部屋で、目隠しをして座ります。その部屋には音もなく、目隠しをした人はひとりぼっち・・・そこへもうひとりの人が登場し、声をかけることもなく、目隠しをとるわけでもなく、目隠し状態のままアチコチ連れまわします。待たされた時間はとても長く感じますが、実際はほんの10分。アチコチ歩いているのは、部屋のなかだけではあるけれど、とても長い距離に感じるし、またなんの誘導もなければ、今ここで普通に足をだして歩いていいものか、歩いた先にきちんと地面はあるのか・・・などととりとめもないことをひたすら考えてしまうでしょう。もちろん、そんなふうに考えながらの歩行は、知らず知らずのうちにすくみ足になっているはず・・・。

これをやってみるとよく分かるのですが、目や耳からの情報というものは、私たちの行動範囲を大きく広げてくれるツールなわけです。しかし、認知症患者の場合、そういったものから情報を得るということができなくなっている、だから事前の声かけ、安心できる呼びかけはもちろんのこと、室内の整頓、適切な自助具の使用をすることで、飛躍的に可能性は開けてくるというわけですよ。

どんなことに対してもそうですが、「正しくない理解」というものがいかに無意味で危険なものなのか・・・認知症は、誰にでも起こりうる病気だし、認知症の家族をもつということももちろん、誰にでも起こりうる事象・・・そのわりに、理解が進まないのはなぜなのでしょうか。どこかに「ひとごと」だという気持ちはありませんか?

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7 コメント

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Unknown (mizzie)
2007-11-09 23:47:56
僕は医療介護施設勤務なので、アルツハイマーも高度に進行して、脳萎縮で生活全介助、意思疎通はおろか発語機能も喪失した人が殆どなので、認知症に関してはヘルパー2級、1級の実習と、NHK学園の実習で少しやった程度。だから今回のhanaさんの記事は僕にとって、とても役に立ちました。

確かに、周囲の無理解や認識不足で、出来る事も出来なくされてしまう可能性・危険性があることは、認知症に関してだけでなく高齢者や障害者に関する全てに対して言える事ですよね。
自分にも起こるかもしれない「ひとごと」を、いかにして現実感を持った危機感として多くの人に考えてもらうか、それは僕等に課せられた課題でもあるような気がします。
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人の痛み (yukiyuki)
2007-11-10 00:42:22
きっと、頭ではわかっているつもりでも、自分の身、もしくは身近で体験したことでないは、やっぱり他人事で理解をするのは難しいことなのだと思います。
これは父の介護をして本当に身をもって感じました。
でも、いざ自分の家族がそうなった時、どうしたらその状況を素直に受け入れて、対応していけるのか。
大きな課題ですね。
認知症と向き合わなければならなくなった人が、hanaさんが研修で受けられた「認知症体験」などを受けられる機会があるといいなぁと思います。
また、認知症が正しく理解されるためにも高齢化社会に向けてこれからは一般の人はもちろん、こども達にも介護、認知症についても学んだり、体験したりする機会が作られることで少しは道が開けるのではないかと思います。

私も、人の痛みがわかる人になりたいと思いつつ、なかなかそうなれない、いつまで経っても未熟者です。
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ゆとり教育やってる場合じゃない!? (JiMNY)
2007-11-10 13:36:37
認知症って、30年、40年、50年前~はそんなにあったでしょうか。
ただ単に自分が子供だったから、認識がなかっただけ?
認知症といっても、今はアルツハイマー型(西洋型?)の比率が増えてきてるんですよね?
それって、やっぱり食べ物が関係してるんでしょうか。

認知症への理解は確かにゼロに近い人がほとんどではないでしょうか。
認知症になったらお終い、もうどうしようもない、とみんな思っているから、なかなか回りの人たちも関わりたくない、厄介ものを扱うような感じになるんだとおもいます。
それこそ、小学校や中学校の授業で、教えていかなければならない、重要事項のような気がします。
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本当にありががとう!! (高宮)
2007-11-11 03:50:00
手抜きでやっても月収が倍になったよ!!女友達増えるし最高だな(笑)http://life-work.net/yourbest/471
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理解すること (hana(本人))
2007-11-11 23:57:44
>mizzieさん
この記事を書いたのは、同程度の要介護度、体格、家族構成なのに家族の理解度が全く違うため、本人のQOLが全く違う利用者を受け持っているからなのです・・・見ていて辛いんですよ。ひとりはいつもにこんこして穏やかに、そして家族もそんな(主)を温かく見守っているのですが、もう一方は、常に不穏状態、家族も喧々諤々といった感じで。どうすることもできないのが情けないです・・・。

>yukiyukiさん
職員が2時間話し相手をするよりも、家族が5分面会にくるほうが利用者さんは生き生きとするもので、つまりは家族の存在というものはとても大きいのですよね・・・私も今は仕事だから認知症の方とも普通に接することができますが、自分の親となると、自信ないです・・・。

>JiMNYさん
地方へいくほど、認知症の身内がいるということを隠したがる家族が多いようで、デイサービスや施設の利用なども近所の目を気にして利用しないというケース(そしてますます孤立化)が多いようです。
誰にでも起こりうる、特別なことではないということを小さいうちから学校なりなんなりできちんと学ぶ機会があればいいと、私も思います。
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ご無沙汰です。 (えびすけ)
2007-11-13 11:57:26
ひとごとだと思います。
なかなか、認知症の方と触れ合う機会がある人というのは少ないでしょうし、
だから、理解も浅く、ほとんど知らないんじゃないでしょうか。

自分自身そうでした。今はとても後悔しています。
在宅中に自分たちの接し方がもっと違ったものであれば、
もっと長い間あたたかく見守っていけたのではないか・・・と。

母の兄弟や、母の友人たちも、時々見舞いに来てくれますが、
皆、おっかなびっくりで、どう接したらいいのか分からない様です。
話しかけても反応が無いので、「何も分からなくなってる」と思ってしまう様です。
「ちゃんと耳は聞こえてるし、分かってるよ」とそのたび説明するのですが。
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反応・・・ (hana(本人))
2007-11-13 15:33:28
>えびすけさん
例えば「何も分からなくなっている状態」というのは、いったいどういうものなのでしょうか。
相手が誰だか分からないこと?今がいつか分からないこと?
認知症の人と接するとき、いつも思うのが「生きていくうえで、そんなことがどれほど重要なことなのだろうか」ということ。でも慣れてない人には、それが伝わらないんですよね。
どう接したら「いい」じゃなくて、どう接しても「いい」んですよね。でも実際に目の当たりにしてみないと分からない感覚なのかもしれませんが・・・。
もっと世の中の人が、認知症や認知症患者を持つ家族の方のことを理解できるように、私たち介護職員も頑張ります!
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