1月も、あっという間に一週間が終わり。
すでに、通常の生活に戻った方もいれば、
10日までお休み、という方もいらっしゃることでしょう。
今日、サロンに来られた方とお話していたのですが、
日々の生活に追われ、バタバタ過ごしていると、一年なんてあっという間。
振り返ると
「・・・・今年一年、何してたんだっけ?」
となりがちですね。
そこで、メルマガでも書いたのですが、
この時期、一年のプランニングを、じっくりとやることを、おすすめします。
今年を、どんな一年にしたいのか。
そのために、具体的に何をするのか。
ワクワクするような年にしたいですよね。
僕は、元旦から、少しずつ時間をかけて
今年一年の計画を、練りに練っています。
究極的には、一日一日を、最高に大切に過ごすこと。
これが、課題です。
極端な話ですが、
僕は、今までサロンをやってきて、
亡くなっていく方の人生の最期を、サポートさせていただくことが
何度もありました。
今でも忘れられないのが、I君のこと。
もう7年くらい前になるのかな・・・
まだ20代前半だったI君と知り合ったのは、K病院のT医師の紹介でした。
I君は、白血病をわずらい、K病院に入院していました。
そのころ、あるきっかけで知り合ったT医師から、
K病院に血液の病気で入院している患者さんを対象に、エステや気功をやらないか?
という提案をいただきました。
快くOKした僕たちは、2~3人態勢で、K病院の血液内科に入院中の患者さんに
ほぼボランティアで、エステや気功の施術をさせていただきました。
その患者さんのひとりが、I君だったのです。
I君は、骨髄移植を控えていました。
素直でとってもいい子で、気功を受けると調子いいということで
とても喜んでくれました。
次第に、僕たちが行くのを楽しみに待っていてくれるようになりました。
ひどい痛みが、気功でウソのように消えたこともあり、
「治って退院したら、弟子入りさせてください」
とまで、言ってくれました。
骨髄移植が終わり、無菌室に入ったI君にも、
看護師さんの許可を得て、完全防備で気功をさせていただきました。
本人が、希望してくれたんですね。
K病院は、かなり大きな病院で、ふつうこんなことは、あり得ないと思います。
骨髄移植後、だんだん元気をとりもどし、一時帰宅ができるようにまでなったI君。
「退院したら、みんなでお寿司パーティーをしよう」
という約束をしていました。
ところが。
一時帰宅中に、ちょっとしたことで家の中で転び、ケガをしてしまい
動けなくなってから、急激にI君の体調が悪化。
そして・・・
当時、僕が書いた日記が出てきたので、それをそのまま転載します。
I君との出会いと別れが、僕が、一日もムダに過ごすことができなくなった
いちばんのきっかけとなりました。
------------------------------------------------------------☆
多くの皆さんに応援していただいていましたI君。
本当に残念ながら、11月28日の朝亡くなられました。
まだ21歳という若さでした。
28日の夜、以前I君の担当医だった今井先生からメールがあり、
ショックで言葉を失いました。今も信じられません。
7月から4ヶ月、一度も欠かさず毎週毎週、気功やカウンセリングを通して励まし続けてきました。
8月に行なわれた2度目の骨髄移植の結果、急性骨髄性白血病は治り、退院を目前にしていたのです。
それが、運命なのでしょうか、突然の白血病再再発。
外泊もできて、いよいよ退院祝いの御寿司だね、なんて話していたのに・・・。
安心して、皆の気持ちが緩んでしまったのかもしれません。
最後は肺炎で、あっという間でした。
「これからもよろしくです☆」というメールをI君本人からもらって、たった5日後のことでした。
実は、I君を初めて紹介された段階で、すでに「彼のような患者さんはだいたい余命3ヶ月」とお聞きしていたのです。
白血病の治療というのは、生命をかけた激しい闘いです。
闘いが終わったとしても、身体のいろんなところがボロボロになっています。
何しろ、抗がん剤、放射線を大量に使うのですから・・・。
まさに綱渡りのような状態でした。
I君は、治療による副作用と懸命に闘ってきました。
「病院の治療だけでは、ここまでこれなかった。気功のおかげがかなり大きいです」とも言ってくれました。
「もっとこうしてあげられていたら・・・」という後悔もたくさんあります。
短い期間でしたが、彼からたくさんの大切なことを学ばせてもらいました。
彼の死を決して無駄にせず、これからぜったいに活かしていきたいと思っています。
I君のご冥福をお祈りするとともに、I君や私たちのことを応援してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。(わ)
すでに、通常の生活に戻った方もいれば、
10日までお休み、という方もいらっしゃることでしょう。
今日、サロンに来られた方とお話していたのですが、
日々の生活に追われ、バタバタ過ごしていると、一年なんてあっという間。
振り返ると
「・・・・今年一年、何してたんだっけ?」
となりがちですね。
そこで、メルマガでも書いたのですが、
この時期、一年のプランニングを、じっくりとやることを、おすすめします。
今年を、どんな一年にしたいのか。
そのために、具体的に何をするのか。
ワクワクするような年にしたいですよね。
僕は、元旦から、少しずつ時間をかけて
今年一年の計画を、練りに練っています。
究極的には、一日一日を、最高に大切に過ごすこと。
これが、課題です。
極端な話ですが、
僕は、今までサロンをやってきて、
亡くなっていく方の人生の最期を、サポートさせていただくことが
何度もありました。
今でも忘れられないのが、I君のこと。
もう7年くらい前になるのかな・・・
まだ20代前半だったI君と知り合ったのは、K病院のT医師の紹介でした。
I君は、白血病をわずらい、K病院に入院していました。
そのころ、あるきっかけで知り合ったT医師から、
K病院に血液の病気で入院している患者さんを対象に、エステや気功をやらないか?
という提案をいただきました。
快くOKした僕たちは、2~3人態勢で、K病院の血液内科に入院中の患者さんに
ほぼボランティアで、エステや気功の施術をさせていただきました。
その患者さんのひとりが、I君だったのです。
I君は、骨髄移植を控えていました。
素直でとってもいい子で、気功を受けると調子いいということで
とても喜んでくれました。
次第に、僕たちが行くのを楽しみに待っていてくれるようになりました。
ひどい痛みが、気功でウソのように消えたこともあり、
「治って退院したら、弟子入りさせてください」
とまで、言ってくれました。
骨髄移植が終わり、無菌室に入ったI君にも、
看護師さんの許可を得て、完全防備で気功をさせていただきました。
本人が、希望してくれたんですね。
K病院は、かなり大きな病院で、ふつうこんなことは、あり得ないと思います。
骨髄移植後、だんだん元気をとりもどし、一時帰宅ができるようにまでなったI君。
「退院したら、みんなでお寿司パーティーをしよう」
という約束をしていました。
ところが。
一時帰宅中に、ちょっとしたことで家の中で転び、ケガをしてしまい
動けなくなってから、急激にI君の体調が悪化。
そして・・・
当時、僕が書いた日記が出てきたので、それをそのまま転載します。
I君との出会いと別れが、僕が、一日もムダに過ごすことができなくなった
いちばんのきっかけとなりました。
------------------------------------------------------------☆
多くの皆さんに応援していただいていましたI君。
本当に残念ながら、11月28日の朝亡くなられました。
まだ21歳という若さでした。
28日の夜、以前I君の担当医だった今井先生からメールがあり、
ショックで言葉を失いました。今も信じられません。
7月から4ヶ月、一度も欠かさず毎週毎週、気功やカウンセリングを通して励まし続けてきました。
8月に行なわれた2度目の骨髄移植の結果、急性骨髄性白血病は治り、退院を目前にしていたのです。
それが、運命なのでしょうか、突然の白血病再再発。
外泊もできて、いよいよ退院祝いの御寿司だね、なんて話していたのに・・・。
安心して、皆の気持ちが緩んでしまったのかもしれません。
最後は肺炎で、あっという間でした。
「これからもよろしくです☆」というメールをI君本人からもらって、たった5日後のことでした。
実は、I君を初めて紹介された段階で、すでに「彼のような患者さんはだいたい余命3ヶ月」とお聞きしていたのです。
白血病の治療というのは、生命をかけた激しい闘いです。
闘いが終わったとしても、身体のいろんなところがボロボロになっています。
何しろ、抗がん剤、放射線を大量に使うのですから・・・。
まさに綱渡りのような状態でした。
I君は、治療による副作用と懸命に闘ってきました。
「病院の治療だけでは、ここまでこれなかった。気功のおかげがかなり大きいです」とも言ってくれました。
「もっとこうしてあげられていたら・・・」という後悔もたくさんあります。
短い期間でしたが、彼からたくさんの大切なことを学ばせてもらいました。
彼の死を決して無駄にせず、これからぜったいに活かしていきたいと思っています。
I君のご冥福をお祈りするとともに、I君や私たちのことを応援してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。(わ)
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