明後日はあの震災から1年。
特に被災地や被災者の方々への直接支援をしているわけではありません。
なので、震災復旧や原発対応をとっている人々には頭が下がります。だからと言って過敏に自分を責めるほどピュアじゃないな。。。
被災地の様子というのはテレビや新聞、雑誌などを通じて垣間みる形です。一時期、このいわゆる「震災ドキュメンタリー」に関してはいささかウンザリしていたのが本音だった。でも最近は違う。被災地に居住していない、身近に被災者がいない自分にとって「震災ドキュメンタリー」は震災が現在進行形の災害であることを絶えず伝えてくれるツールだ。
むろん、「ドキュメンタリー」という形である以上、制作者の意図による情報の斟酌はあるだろうし、その部分は常に意識している。
問題はそこではなく、この震災のありようを認識することだ。
震災復旧や原発対応について思うこともあるんだけど、自分が何かのアクションを取ってるわけではないのでここには書きません。自分は恐らく現場にあるであろう「過酷な現実」を知らない人なので「的外れ」であることもあるし。
まぁ、それでもいいと思ってる。
この震災と原発事故は非常に長い時間をかけて対応することになるわけで、今は関与することがなくてもいつか関わることもあるかもしれない。そんな機会を得たらまた別の目線で思うこともあるだろう。その時までこのブログは続けていたら何かしらの意見は書こうと思ってる。
特に被災地や被災者の方々への直接支援をしているわけではありません。
なので、震災復旧や原発対応をとっている人々には頭が下がります。だからと言って過敏に自分を責めるほどピュアじゃないな。。。
被災地の様子というのはテレビや新聞、雑誌などを通じて垣間みる形です。一時期、このいわゆる「震災ドキュメンタリー」に関してはいささかウンザリしていたのが本音だった。でも最近は違う。被災地に居住していない、身近に被災者がいない自分にとって「震災ドキュメンタリー」は震災が現在進行形の災害であることを絶えず伝えてくれるツールだ。
むろん、「ドキュメンタリー」という形である以上、制作者の意図による情報の斟酌はあるだろうし、その部分は常に意識している。
問題はそこではなく、この震災のありようを認識することだ。
震災復旧や原発対応について思うこともあるんだけど、自分が何かのアクションを取ってるわけではないのでここには書きません。自分は恐らく現場にあるであろう「過酷な現実」を知らない人なので「的外れ」であることもあるし。
まぁ、それでもいいと思ってる。
この震災と原発事故は非常に長い時間をかけて対応することになるわけで、今は関与することがなくてもいつか関わることもあるかもしれない。そんな機会を得たらまた別の目線で思うこともあるだろう。その時までこのブログは続けていたら何かしらの意見は書こうと思ってる。