活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

衆生本来仏なり2

2023年01月05日 | 法理

どれだけ自分が自分を信じていても知らず識らずのうちに、やはり「この物」は変わらなければならないと思ってしまうものです。

 

実に「不思議」なものです。

 

長い間修行(坐禅)をしていると、「これで善いのだろうか、こんな自分の言動で善いんだろうか」という様々な事を考え出すものです。

 

それくらい流れ出る「自分の意識」というものは取れにくいものです。

 

そこで「万(ばん)止むを得ずですが、しばらく修と証(行)を分けて修行(坐禅)をしてもらうのです。

 

それ以外に如何することも出来ません。

 

 


衆生本来仏なり1

2023年01月03日 | 法理

私たち衆生は「衆生本来仏なり」という事をなかなか信じられないものです。

 

何故ならばまず自分の観念で「仏」というものを作り出して、「仏」というのはそういうお方だろうという事から自分の生活と比べてみてしまうので自分自身が「仏(おシャカ様)」であるという事が信じられないのです。

 

ですから「修行して仏に成ろう」としてしまうのです。

 

結論から言えば私たち衆生一人一人が既に悟りの中で生活しているのです。

 

既に自分の無くなった様子で日常生活を営んでいるのです。

 

「本当に人が人に成った時(仏に成ろうという求め心が無くなった時、凡夫が凡夫に本当に ”ああこれで善かったんだ” と自らを許した時)」を「仏」といいます。

 

 

 

 


真理

2023年01月01日 | 法理

全てはそう成るべき因があった「結果」です。

 

ですから「偶然」ではなく「必然」なのです。

 

自分の作業ではありません。

 

自分がやるのではありません。

 

そう成るべき「理由」があってそう成るのです。

 

自分がやるのでしたら思うように行きそうなものですが、そうは行かないのです。

 

一番わかるのは、自分が長生きしたくてもそうは行かないではありませんか。

 

これが「心理の実験」です。

 

古人は「事実は真理の証明者なり」と言っています。

 

何事でも出たものが「結果」ですから他に比較の仕様がないのです。

 

その時その時いっぱいいっぱいの物ですから、比較の仕様がないのです。

 

ですから、その場その場の真理に満足して唯(ただ)務めていけば善いのです。