どれだけ自分が自分を信じていても知らず識らずのうちに、やはり「この物」は変わらなければならないと思ってしまうものです。
実に「不思議」なものです。
長い間修行(坐禅)をしていると、「これで善いのだろうか、こんな自分の言動で善いんだろうか」という様々な事を考え出すものです。
それくらい流れ出る「自分の意識」というものは取れにくいものです。
そこで「万(ばん)止むを得ずですが、しばらく修と証(行)を分けて修行(坐禅)をしてもらうのです。
それ以外に如何することも出来ません。