心清ければ眼(まなこ)明らかです。
「六塵( 六境)”色、声(しょう)、香、味、触(そく)、法」も結果に至れば
「正覚(しょうがく)」に同じなのです。
流れに随って性(しょう)を認得すれば喜もなく、憂いもありません。
浄地は却って人を迷わすものです。
聖が邪法を説けば邪法も正法(しょうぼう)となり、邪人が正法を説けば正法も
邪法なるものです。
本来成仏 他より得るにありません。
聖の言うことには「一塵を動かさず、一相をやぶらず」「俗を俗としれる人
まれなり」「道心のありよう知る人まれなり」「悟了は未悟に同じ」と。