真の證明は仏の語の上にはありません。
私たち衆生各自が、実参実究後に真の證明の「真実(正しさ)なること」を
自得出来るのです。
おシャカ様は四十九年「法」を説かれましたが、真実をあらわされ
なかったのです。
説かなければ多くの人は「法」は分かりません。
しかし、説けばそれだけ「法」にキズがつくのです。
この「今」という「今」を大事にしなければなりません。
ものをつかむための「今」ではありません。
「今に成るための今」です。
覚者の言うことには「自分を運んで万法(まんぼう)を證することを
迷いといい、万法来たって自己を證するを悟り」という。