「観念と事実」再考1 2017年08月31日 | 法理 私たち衆生は何も持っていないから、又何でも持てるのです。 それを「真の自由」といいます。 しかし、私たち衆生は何か自分に持ち物がある様な気がする ものです。 ところが、「事実」は何も握っていられないように出来ている のです。 しかしながら、それがなかなか思う様にいかないので皆苦労 するのです。 それは、「観念と事実」は違うからです。 「観念」というものは、すべてのものを思想上においてのみ 見る先入観があって、「事実」と遊離するから問題が起こる のです。 « 観念と事実8 | トップ | 「観念と事実」再考2 »
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