業について5 2018年12月24日 | 仏教 「自我」がものを認めることに因って「業、因縁、因果」というものが つくられる訳です。 相手を認め、自分を認めれば溝が出来ます。 溝が出来るから苦しいのです。 そのくるしみを「地獄」といっています。 「地獄」は亡くなってから行く所ではありません。 「道」という羅針盤を”思い出さずに忘れずに” 精進していただきたく思います。 道歌に「草木すら 仏となると 聞くからは 心ある身の たのもしきかな」 « 業について4 | トップ | 二重の迷い1 »
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