臨済(りんざい)禅師のお言葉に、「随所に主となる」というものがあります。
「何時でも何処へ行っても自分が中心に成っている」と理解すると大変な間違いを生ずることになります。
「随所」というのは「客体(相手)」であり、「主」というのは「主体」のことですが、「主体と客体」と言うのは本当は元はありません。
ですから、「元の無い物に成りなさい」という事を「随所に主となる」といっているのです。
別の例を挙げていえば、「自分はもう修行が出来たから環境の中に入っても決して汚れません」という人が居ます。
これも間違いです。
修行歴に因って環境に左右されなくなる事ではありません。
「環境に左右されながらもその中に平気で居られること」が出来なければ修行をした事には成りません。
それを、「不染汚(ふぜんな)」と言っています。
知(識)っている人は何も言わないものです。
まだ能く知(識)らない人が説明をしたがるということです。
言えばそれだけ「疵(きず)」が付き、汚れ染まるという事です。
「そのままに成っていて下さい」ということです。
「今のままが一番善い」という事です。