活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

回互(えご)と不回互

2016年02月03日 | 

「回互(えご)」 というのは、読んで字の如く、互いに 「力用(りきゆう)」 を回らして相互扶助して行くことです。

相互に助け合うことです

夫れは、もともと一つのものが分業的に、この世の中というものが分かれているのです。

 

これを読んでいる皆さんも元は一つですが、それが判らないのです。

それが分からない為に世間では、喧嘩をするのです。

 

一つのものであるということが判ったならば助けざるを得ないのです。

それは作為してそうなるのではなくて、然うならなければならないのです。

必然の理なのです。

 

アメリカといい、日本といい、名は異なっていますが、地球上の一つの呼び方に過ぎないのです。

回互の目的を達するには、どうしても、「不回互」 ということが必要なのです。

 

「不回互」 というのは、個々別々に其の位を保っている形です。

即ち 「差別(しゃべつ)」 の独立をしたのです。

 

いくら互いに扶助しようとしても、そのものが、しっかり独立していなければ扶助出来ません。

独立しなければ出来ない筈です。

 

「山はこれ 山であり、川はこれ 川」 です。

山 崩れてはいけない筈です。

 

自ら縛を解かずして人を救うことは出来ません。

自ら独立しなければ、人を助けることは出来ないのです。

 

「不回互」 とは、独立自尊であると福沢諭吉は言いました。

差別(しゃべつ)に成り切ったところは、即ち 「不回互」 です。

 

その差別(しゃべつ)に成り切ったところに 「己れ」 というものは無いのです。

その 「己れ」 のないところを 「回互」 とも 「平等」 ともいうのです。

 

成り切ることが出来ないから、何も出来ないのです。

即ち 「回互」 が、出来ないのです。

 

成り切ったら自分というものはありません。

成り切るというものもないのです。

 

自分というものがないから、「回互」 せざるを得ないのです。

「真の不回互」 が出来れば、「回互」 は独りで出来るのです。

各々、その位に安住して他を顧みなければ、其の間に互いに相互扶助して行が出て来ます。


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