「自分の法に目覚める」という事は、「おシャカ様の法」では在りません。
「独立した自分という者」に成るわけです。
私はとてもおシャカ様の様な人には成れませんと、いう人がいます。
よく考えて見て下さい。
みんなそれぞれ違うのに、同じ人に成ろうと思うのは、おかしいと思いませんか。
しかし同じ人に成らなければおかしいと思う人が多いのも、「現今の事実」です。
法(道)という物は、そういうものではありません。
おシャカ様の教えは、インドから中国に入り、中国から日本に入って来ましたが、みんなそれぞれ違います。
ですからその土地その文化に因って、様々に形を変えて今日までこの様に、有(在)るのです。