「調息の法」というものがあります。
これは「息を整ええる」ということです。
それは「自分の計らい」でもって呼吸を整えていかなければならない、ということではありません。
一応、自分を用いて「道」を修していくことも必要な時期もあるわけですけれども、自分の考えでもって「こうしていかなければならない、ああしていかなければならない」という意味での「整える」ということではありません。
「本来整っているのに、何故整わせていかなければならないのか」という事の方が問題にならないといけないわけです。
「いわれたからやる、こうしなさいというからその通りにやる」ということだけでは、「この道」というのは、なかなか成就するものではありません。
「道が成就しない」のは、「問題が自分の問題にならない」ということが、一番の「元」になっていると思います。