活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「坐禅は坐禅なり」とは5

2021年07月02日 | 坐禅

道元禅師のお示しに「人は坐禅するにあらず 坐禅に坐せらるるなり」とあります。

 

坐禅の時には「私」というものの介在する余地が無い」という事です。

 

「坐禅その物に成る」という事です。

 

「頑張らなくてはならない」というような事でも、純粋という面からいえば「余分の事」です。

 

それくらい「今(今の様子、今の事実)」というのは垢も付かなければ、汚れる事も出来ない透明なもの、スッキリした者、はっきりしたものであるという事です。

 

「坐禅の指導者は坐禅その物」です、人ではありません。

 

坐禅をして「迷いの本性」を分かろうとするのではありません。

 

坐禅その物が迷いに成ってしまわないと、「迷いの本性」というものは見定める事は出来ないのです。