「見性」するということは「新帰元(元に帰る)」ということです。
別の言葉で言えば「四大(地水火風)」に帰るということです。
ですけれども「四大」というものもまた「四大」に因って作られているのです。
これを「因縁生」といいます。
まったくどこにも毛筋ほどの「元(根)」があるものではありません。
そういうことを「理(理論)」として、自分で納得しておいて頂かないとと
分かったとか分からないとか、暗中模索しているとか不安が生じるとか、
すべてそういうものは「隔てて見る」から、そういうものが出て来るわけです。
不安のまま(そのまま)随い去る、逆境のまま(そのまま)に素直に随い去って
いってみてください。
そうすればいつでも「平和」です。
そういうことが「自己を明らめる(諦める)」ことによって分かるということです。