「禅」を修するには、先ず「菩提心」を起こさなければなりません。
「菩提心」が無ければ、「禅」を修しても駄目なのです。
今の参学の人には、「菩提心」の名前すら知らない人がいます。
「菩提心」の事を説いて聞かさない指導者が今時多いと思います。
「菩提心」のない指導者が「菩提心」を説いて聞かすことは出来るものではありません。
「菩提心」はこの私たち衆生の体に本来充ちているのです。
「菩提心」は生まれつきのもので、無くしようと思っても無くすることの
出来ないものです。
天性もって生まれたものです。