活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

修行の誤り1

2016年10月21日 | 

現在の 「法を求める修行」 の様子を 「見聞(けんもん)」 する時、

誤りに誤りを重ねていく様子が目につきます。

 

原因は 「人」 が法を伝えて来たために

真の解脱(げだつ) がなくなったからです。

 

特に禅の修行で広く伝えられている誤りに、

「坐禅によって今の自分の様子を修正していくことである」

とか、あるいは

「坐禅をして自我を忘じ無我となることである」

とか、あるいは

「禅を学んで無や空を思想として勉強し、

自由なものの見方や新しい考え方を

習得することが禅である」

という例があります。

 

しかし、間違えてはならないのは、

「修正していくのが修行ではなく、修正しようとしている自分を

捨てる(忘れる)のが禅の修行である」

ということです。