「法の実證」 という禅の修行は、自己を忘じて
「本来の自分に成る」 ことによって一切の問題を解決する道です。
自分が本来の自分に成れば、自分とは何ものか、
真実とはどういうことかを一切問う必要もなく、
迷いや悟りもまったく不要のものになります。
あえて申し上げれば、仏法という支え、坐禅という支えが本当に
要らなくなったところがおシャカ様がお示しになられた
「真の仏法」 であり、インド、中国、日本へと伝えられた坐禅です。
「実相は無相なり」 の證明へ向かうことですから、くれぐれも
「修理の道理」 を常識の範囲で測らないように注意して
いただかなければなりません。
「修行の道理の究極」 が、新三法印、
“実相無相・不知不識生・本来成仏”
なのです。