たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

姉弟旅行 その6 浅草観音

2016年03月27日 | 日記

浅草へ向かう途中で駒形橋を渡る。隅田川と遊覧船。
雷門前からのスカイツリー

昼食は雷門信号交差点左の天ぷら屋へ、不愛想でつっけんどんな中年男性の主人か、従業員で興を削いだ。昨晩からご馳走攻めで、姉も自分もてんぷらには参った。中ビール2本を別注した。

仲見世通りはひと、ひと、ひと、身動きできない。


和服姿の外人客が目立った。団体バス乗り場付近に貸和服屋があった。東京駅では女子大生の卒業式姿の定番・晴れ着に袴姿が多く目の保養をした。弟の孫娘が来年春小学校を卒業予定。もう1年前から和服の予約だって。

戦災で焼けてコンクリートで再建した本堂や五重の塔はやや風情が薄い。

さい銭を上げお参りした。

全国どこでも聞くストーリーの浅草寺縁起だった。

団体バス乗り場で長すぎる乗車時間待ちで小1時間待った。仲見世で「雷起こし」千円×2個、500円が1個が自分が買ったお土産。姉や兄は沢山タワーや仲見世で買って帰った。姉は娘が送ってきた3万円の餞別まで貰ってきたそうだ。

お天気に恵まれ楽しい2日間だったのが幸い、東京は、住みたいとは思わない都市だったが、機会があればまた行ってもいい。以上バカな旅行記は終わりです。閲覧感謝!


姉弟旅行 その5 東京スカイツリー

2016年03月27日 | 日記

はとバス乗り場は駅のそば、待合室は狭く小さいのが二つ。コース番号A608 9:20~15:30分頃までの往復

日本橋を通り東京スカイツリーへ。

日本橋

スカイツリー前へ到着 下層部 1F団体フロア 2F~3Fが東京そらまち(ショッピングや飲食街)4F入口フロア EVでここから展望デッキへ登る 5Fは下り客出口フロア になっている。

バスガイドの説明はよく分からない面もあった。展望デッキへ直接は登らせず、小1時間「そらまち」で買い物や休憩など時間つぶしをさせられた。指定時間と集合場所は最初に到着した玄関となった。それから引率されEVで展望デッキへ。それをタワーの料金窓口へ聞きに行き、ようやく理解する始末。右往左往した。喫茶コーナーで380円のコーヒータイムを取った。 

展望デッキは3F構造で、2Fに降ろされる。右回りで展望歩きする。スカイツリーの役目を電波塔か聞いたら「はとバス・ガイド」は答えられず、団体受付窓口で聞くと、電波塔で地デジ電波を関東一円へ放射しているそうだ。地上1F340 m、2F345m、3F350m(¥当日券2,060 NET事前予約¥2,570と事前予約の方が高い) 

すごい建造物で誰が設計したか、施工会社はどこか、耐震強度はなど知りたいことは何も説明板無し。昔の塔は内藤博士が有名だった。EVの製造会社を乘る前に聞いたら、展望デッキまでは「東芝製」そこから「展望回廊」(1Fは455m、2Fは450m¥1,030 )は、日立製とEV嬢は答えた。EV前が下の写真、黒い扉に反射している。
どこへ行っても中華系、マメリカ系の外人客が目立つ。


 
下は隅田川

下の写真の中ほどの森は皇居 望遠レンズで拡大している。

下の森は恩賜上野公園

 下は隅田川、向うは荒川だって、パンフには説明なし。


商売用写真コーナーが展望客を邪魔している。

小さいエスカレーターでフロア340、1Fへ降りると、ガラス床のぞき ができる。震えた。 

日本の施工技術と、とび職はすごい。震度8の地震ではどうだろう?と思った。
フロア345、2Fで4人の集合記念撮影を若い男性に頼んだ。快く引き受けてくれ、「ハイ笑って」が中国語だった。キチンと2枚づつを、弟のカメラと4回撮ってくれた。お礼に「謝、謝、シェ、シェ」と言うと「シェ、シェ」と返し、ニッコリ笑った。ありがとう。
お天気に恵まれました。


姉弟旅行 その4 旅館料理など

2016年03月27日 | パソコン

夕食のお料理はさすが手が込んでいました 御造り 旬の地魚いろいろ
熱海温泉 大月ホテル和風館 の夕食は部屋で取ります。

弥生献立 詳細略
1、旬菜        2、御碗
3、御造り 上の写真  4、焼肴
5、煮物        6、強肴
7、食事        8、止碗
9、水菓子 季節の果実

天候、仕入れ状況により一部内容が変わる場合がございます。
         大月ホテル和風館 料理長  〇〇 〇〇

いや~すごい料理!6番のあしたか牛灸り あたりからもう腹に傷ある身なので入らなくなった。下は1番旬菜


何かの料理の上にあった桜

大浴場へ行く途中大宴会場の前へ通りかかった。まだ準備中で仲居さんに断って中を写真に撮らせていただいた。

ネットで宣伝しますからいい顔してと、美人の仲居さんにお願いした。舞台は老松

歴史ある旅館には違いない。

15幅ほどが飾ってあった。

宴の初めに兄貴が挨拶した。「父も母も亡くなって久しい、末弟を除きそれぞれの連れ添いも先立った。残された我々もいつとも知れず、一日一日を大事に、大事に過ごそう、では乾杯!」と食前酒で乾杯した。
若い美人のお手伝いさんにはほんの気持ちの心付けをした。

少し変わった建築で大浴場へ行くのに一旦連絡通路に出る。距離とエレベーターの昇降があるが、いい旅館だった。
翌朝出立は早く、7時には部屋で朝食をお願いし、6時起床、お風呂は寒いので省略、タクシーを7時半に予約した。
熱海海岸と、すぐそばのお宮の松は見ずじまいだった。