想い出を売る店 リチャード・クレイダーマン
先日二男がお世話になった地方国立大工学部同窓会誌が自宅あて送付された。二男は単身で借家住まいなので、同窓会に現住所を届けていないからだ。マンションくらい持てる資金は持ってるだろうに、定年までまだどう転勤があるやも知れずと、名古屋の本社につとめている。
封を切っていつものように親父が読ませてもらい、本人には後で渡す。国立大学も独立法人になり経営が大変なのであろう、振興基金(学内施設の整備事業・学資援助事業)に協賛してほしいと、お願いの郵便振込も同封されていた。
本人の会社宛にメールしたが、返事が遅れていた。今朝返信があって、4日ほど中国へ出張していて返信が遅れた。協賛金はきりがないので今回は見合わせるとあった。
お婆ちゃんが老人ホームへ収容されたので一度見舞いもと、勧めていたが施設の場所を返信してと言ってきた。
中国との事業連携も大変だろうが、先ずは元気そうでよかった。
二男は高専の途中、ASFからの派遣でオレゴンの州立高校へ1年間交換留学(これもたって本人が希望したものではなく、担任の先生に勧められた結果、高専も親父に勧められた結果で自主性が乏しい。)
1年遅れで高専を卒業し、地方国大3年へ編入した。その続きで大学院を卒業して道草した。編入試験では千葉大も受かり、高専の担任の先生から、最初の国大へ入学手続きしてから千葉を受けたのはケシカラン、一人の編入希望者が犠牲になると、電話で私が叱られた。
どうせ不合格だから、ちょっと遊びに行ってくると受験に行って叱られた訳だ。
それから20数年、どんな学校を出たかは、会社や社会では関係が無いと言っている。おかさんのいない実家へは寄りつかないが、元気でそこそこに勤めてほしい。
折から二次試験、後期試験の最中であろう。受験生よ、人生はいろいろだ。一途に決めつけず、そこそこにガンバッテくれ。今日は老人の「思い出を売る店」になった。