たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

春の歓び

2016年03月31日 | 日記

志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の歌一首

石ばしる 垂水(たるみ)の上のさわらびの、萌えいづる春に なりにけるかも
                           万葉集巻8-1418
(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ)
巻8の巻頭に据えられた有名な歌。志貴皇子は天智天皇の皇子で、後の光仁天皇の父に当たる人。よろこびの歌とある具体的な理由は分からないが、位階昇進とか考えなくても、単に春を喜ぶ歌と考えてもいいとある。

故郷・飛騨は月遅れのひな祭りで、従兄弟の会葬で泊めてもらった姉の家でもお雛様が飾ってあった。30メートルほど畑を横切ると私の生家で、仏壇にお参りし兄に姉弟旅行のお礼を言い、写真数葉をプリントして持っていった。
生家は20年ほど前建替えて、威風堂々の檜造りになり、上がり框の間(飛騨では”あんたて”という)が広いので、堂々と正面を向け雛が飾ってあり、姉の家も新しいが少し狭いので廊下の片隅へ横向きに飾ってあった。
翌朝、生家のお雛を撮ろうとしたが、もう若嫁も兄も会葬に一足先に出掛けて家に入れなかった。

その前の日の中日新聞・飛騨版には家々の雛を子供たちが見て回る「がんどうち」の行事が行われたと報じていた。子供達が「ひなさまみせとくれ、おぞても(粗末でも)ほめるさ」と言いながら飾ってあるお菓子を、家人に断らなくても貰ってくる伝統行事です。今や形式化して有志の家3軒が子供会に協力して行ったとあった。
「がんどびき」「がんどうち」の言葉が懐かしかった。自分らの子供時代はお菓子はともかく、黙って家々を回って集落のお雛様を見て回った。ネットに「がんどうち」の語源の考察が出ていた。姉は「がんどびき」と言いました。

従兄弟の葬儀から帰宅すると、嫁の母が孫娘が小学校教員として採用していただき、赴任先が某市の伝統ある学校と決まったので、どんな学校か家族で道路から見に行ってきたと在宅されていた。私と出入りになった訳だ。4年ぶりに来て2晩泊まっていく由。この母は田舎で一人暮らしで、まだ週に2、3回老人施設の掃除に行っていると言われた。

孫は明日からいよいよ社会人の第一歩が始まる。人を育てる、苦労は多くてもやりがいのある仕事、がんばってくれ。
通夜のあった朝、岐阜県教職員異動が新聞発表された。新規採用の一員に孫の名が載った。実家の甥も教員で地元の教委に勤めて役職が変わり名前が載った。この一期後はどうも校長を拝命することになるかも?と兄は喜んでいた。

テレビのキャスターも交代する、昨晩のテレ朝「報道ステーション・古舘さん」も後2晩と言って始まった。今朝の天声人語も、愛読に感謝し明日から新しい言葉が始まると挨拶している。

昨日のインドネシアの女性のフェースブックへの写真付き投稿には、1時間も経たないうちに、本人から友達申請がメールされ「OK」し、兄等二人が「いいね」された。

春はやはりいいね。