たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

東日本大震災5年の日 その2 昆愛海ちゃんのこと

2016年03月12日 | 日記

震災5年目当日の読売新聞は喫茶店で誰かが読んでいて残念ながら読めなかった。翌日12日の「編集手帳」は、前日に報道した読売記事の昆愛海(こんまなみ)ちゃんの近況と、皇后のお歌を紹介しいていた。
「昆愛海ちゃんを皇后さまが歌に」
皇后さまは、行方不明になった母に手紙を書いているうち寝入ってしまった岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(5)の写真を読売新聞朝刊(2011年3月31日付)で目にし、そのいじらしさに打たれて詠まれた。“

「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項(うな)傾(かぶ)し幼な児眠る」

朝日のほか読売も愛海ちゃんのことを、発災当時報道していたのを知り、昨日の読売はどんな内容かな。それと愛海ちゃんの近況が知りたくて図書館へ行った。他の人が読んでいて、雑誌を読みながら空くのを待った。読む前に受付へ行き申請書を書きコピーを申し込んだ。。

4歳だった愛海ちゃんは9歳になり、宮古市の小学3年生、13年春に入学した、岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島の千鶴(ちけい)地区の千鶏小学校では友達に恵まれた。2年生の時に重茂小学校に統合されたが、気後れせず、立候補して学級委員長にもなった。
とある。よかった・・、元気そうで。

6月末。約25キロ離れた大槌町の海岸で震災1週間後に見つかった遺体が、DNA鑑定でお母さんの由香さん(32)と判明した。父親の漁師文昭さん(39)と妹の蒼葉(あおば)ちゃん(2)は見つかっていない。

その間、愛海ちゃんは覚えたばかりのひらがなで、

「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」。
と3月22日、たどたどしい平仮名で、ノートにクレヨンで書いた手紙だという。
「ことばには 意味がある」 今日返本に行った文庫本に挟んであった栞にそうあった。

 

このお手紙で、朝日や読売が記事にし、一躍震災の悲惨さを象徴するヒロインになったのか。
拉致被害者の象徴的存在、横田めぐみさんのように・・。

その後、愛海ちゃんは父方の祖母、幸子さん(68)に引き取られ、震災2週間後から児童館に通い始めたとある。母方の祖父根木清孝(66)さんらと、先日2月21日母が見つかった海岸へ行き、海に花を手向けたとあった。

愛海ちゃん、お母さんお父さん、妹のことを心の片隅に、元気で楽しく学校生活を過ごしてください。 


子守がいない「日本死ね!!!」

2016年03月12日 | 日記

わたしの毒にも薬にもならないブログは何の反響もないが、「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログが大きな反響を呼んでいる。国会でもこの問題が取り上げられ2月29日の予算委員会で民主党の山尾志桜里氏がブログを取り上げ質問した。
(下の写真2枚は別の日の委員会での写真です。山尾氏の右、メガネの横にらみが平沢勝栄議員)


安倍首相は「匿名のブログでは実際に起こっているのか確認しようがない。これ以上議論しようがない」と答えた。

 一億総活躍社会を標榜しながらこの回答ではねぇ。

保育制度の充実を求める署名が広がり、6日間で2万7千人余人分が集まった。参加した母親らは9日、子連れで国会を訪れて署名簿を塩崎恭久厚労相に手渡した。
さらに自民党の平沢勝栄衆院議員は10日、匿名ブログが衆院予算委員会で取り上げられた際「本人に確認したのか」とやじを飛ばしたと認め「申し訳なかった」と陳謝した。平沢勝栄氏は当県・岐阜県・白川郷生まれ、東大生の時、安倍晋三氏の家庭教師をやった。
2月の当ブログ記事で読者から
「彼はバカだ。私が教えていなかったら成蹊も受からなかった」とか言って
もう一人の家庭教師だった人は重用されているのに、
平澤氏は閣僚にもなれないそうですね。
あまり本当のことを言うのは出世に響くのでしょう。」と、コメントをいただきました。

生徒の方が出世したので、先生がゴマすりすりして、逆に謝罪に追い込まれた次第か。
さらに付録がついて、伊吹文明元衆院議長は10日、自民党二階堂派の会合で首相の「保育園落ちた日本死ね」のブログ質問を念頭に「最初からちゃんとやっておけば・・云々」と、「初動ミス」に苦言した。参院選に水を差したからだと言われる。
10日の与野党連絡会議でも公明党の山口那津男代表が「切実な国民の声に丁寧に対応していく必要・・」と注文をつけた。
これが安倍政権が大目標に掲げている「一億総活躍社会」の実態なのだ。

私も日本死ねと言いたい。5月に義弟の息子、甥の妻が二子を出産予定らしいが、彼女は東京都内で小学校の教員をしている共働きだ。一子の可愛い娘は2歳から保育所に預けて働いている。5月の出産に際し義弟は在所へ来て出産を勧めていると言う。入院中の保育園に通う一子の送り迎えや子守がいないからだ。嫁さんの親は北海道で母親は持病があり、東京へ出て来て子守はできない状態だという。父親も北海道で教員をしていて現職。甥はIT系企業に勤め育休も取れない。
こちらの実家も70過ぎの義弟一人だけの世帯、母は施設に入った。幼い孫娘を老いた男手で数週間保育できるだろうか。さらに一子を預かる保育所からは「二人も預かることはできない」と言われているとか。

平沢議員は「死ね」と言う言葉に違和感があって野次ったと言っているが、私は何度も言う「子守がいない日本死ね!!!、日本死ね!!!」