たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

小春日和 その2

2016年03月04日 | 日記

自然公園の近く、田んぼの中の小山「伝 蘇我倉山田石川麻呂の塚」に福寿草でも咲いていないかと寄ってみた。咲いてなかった。
この市指定史跡は正史ではない、口伝えの「伝」史跡だ。

石川麻呂さんはどういう人だったか。
”皇極天皇4年(645年)、中大兄皇子が中臣鎌足と共謀して入鹿の誅殺をはかった際に(乙巳の変・いっしのへん・おっしのへん)、その暗殺の合図となる朝鮮使の上表文を大極殿で読み上げた。” 従兄弟にあたり権勢を誇った蘇我入鹿を誅殺する重要な役割を演じた。その後の大化改新につなげた人物。詳しくはWikiで

石川麻呂は右大臣まで登りつめたが、異母弟「日向」(ひむか)の讒訴で謀反の疑いありと攻められ、菩提寺、奈良県・桜井市の山田寺で自害する。寺跡は国指定文化史跡になっている。
その近くに、奈良文化財研究所・飛鳥資料館がある。何回も行っているが、あるとき監視員のおばさんに、「家の近くに石川麻呂の塚がある」と言ったら学芸員を呼ばれ聞き取りされた。飛鳥古代史を研究しつくしている学芸員さんも「へ~美濃の地にね・・」と驚いていた。(何度も書くが・・)山田寺から出た仏頭が奈良公園の興福寺にある。展示館でつぶやいていたら、隣で見ていたお婆ちゃんが「山田寺から盗んできたのよ」とおっしゃった。

下の写真、真ん中の電柱の向うの山間が私が住む団地、終の棲家です。高速東海北陸道が走っている。団地の南側は、山をくりぬいた各務原トンネルを通過していて、騒音公害はない。団地内人口6千数百人が住む、こちら側は戸建て住宅地、第1種住宅専用地域で、山の向う側は岐阜市側で県営アパート群だ。

日本人の心のふるさと、明日香村へは夜間高校の級友が桜の吉野に別荘を持っている縁で何度も訪ねた。何時行っても心が落ち着くところです。私は貧しい育ちで夜間高校しか行ってない。
その気になれば、奴は俺を誘いたくてうずうずしてるが、安酒に酔っては電話してくるので、うるさくて今は冷却中です。

その母校昼間部の卒業式は雪が舞う3月1日にあり、伝統の白線流しが行われたと新聞、テレビで報じすっかり風物詩になっている。夜間部は関係ない。
和歌山アドベンチャーワールドのパンダ、桜浜(おうひん)と桃浜(とうひん)の双子は桃節句の昨日、氷のひし餅をもらったそうな。この二つは切り抜いた。


小春日和 その1 

2016年03月04日 | 日記

特売日チケット320円のモーニング喫茶の足で、車5分エリアを散策ドライブ。
朝晩はまだ寒いが、今日の美濃地方の日中は小春日和。お不動さんがあり、近くに10数台の駐車あり、里山登山客だ。「こんにちは」と挨拶され、これから山登りの準備中だった。
傍に、岐阜県最古のゴルフ場、岐阜カンツリークラブの17番ホールがある。

今日はお客が無いのかと一服して紫煙をくゆらせ待っていたらキャディつき3人組がやってきた。名門で私には縁がないところ。

その近くの殺風景な自然公園へ。背後はゴルフ場。

ややっ!今日も来てるなあ、カワセミ撮影隊が。平日だというのに、日本中が退職者で溢れている。財政悪化は当然か。

鯉さんもひねもすのたり、のたり。

白梅が咲いている。

紅梅も咲いている。作家・津村節子さんの夫(つま)恋いの小説は「紅梅」だった。最愛の夫・同業の吉村昭さんとの最期の日々、読んだことがある。

公園全景

登山客でにぎわう里山の稜線がきれい。