たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

ノーベル街道

2015年10月08日 | その他

大村智先生、梶田隆章先生ノーベル賞おめでとうございます。
大村先生は山梨大学芸学部を卒業、地元での教職を目指したが、その年は募集がなく、東京都の墨田工業高校の定時制の教師になった。油にまみれた手で学ぶ生徒の姿に胸を打たれ東京教育大の聴講生に、その後東京理科大の大学院で化学を学び直し、山梨大助手を経て北里大に転じた異色の経歴。

7日の新聞は当時の定時制同窓会に必ず出席される、今年も11月にあるが、さすがに今年はダメだろうと卒業生の話が載っていてほのぼのしました。当方も定時制高校なので親近感を感じています。

6日の読売、中日などには本人提供の写真、ガーナで真っ黒の子供達に囲まれながらVピースのポーズ、こどもたちは「イベルメクチン」と叫んでいた。通訳がこの薬を発見した人だと子供たちに話すと、こどもの大集団が囲んだとあった。

特許料で、故郷韮山に5億円で美術品を買い、美術館を建てその館長に、温泉も掘って市民に提供とはすごい。ノーベル賞の賞金は1億1200万円、その4分の1づつを大村先生と、ウイリアム・キャンベル先生に支給される。半分はマラリアの治療法発見の中国の、トウ・ユウユウ先生が貰われる。
現地の発表スクリーンをテレビで観て、YOUYOU TU と投入し検索したら、グーグルは「もしかして You Tube ですか?」って、あほなことを!いっぱい写真がでてきた

梶田先生はまたも故郷、神岡グループの人だった。地元では高山市から富山までの国道41号線を「ノーベル街道」とも言っている。賞金は共同受賞者のカナダの先生と1億1200万円の半分づつ。

高山市出身、2000年化学賞受賞 白川英樹先生 わたし等と同い年の1936年生まれ、広小路通りにあった開業医白川医院の息子さん、高校は進学校の斐太高校でなく高山高校。そのせいで私の小・中学校の女性級友の二人はクラスも一緒、今でも白川君とか英樹君と同窓会で言う。
マラソンの高橋尚子さんと親戚、父上の初太郎先生には、若い頃風邪で何回も診てもらった。優しい気さくな先生だった。

カミオカンデにからんで、2002年物理学賞 小柴昌俊先生、 益川・小林理論の 2008年物理学賞 小林誠先生 7日の新聞でも小林先生はストックホルムでの受賞講演で、スライドに戸塚洋二先生の写真を映し、「戸塚さんに導かれた、残念ながら今年7月亡くなった」と話されたとか紹介していた。
その戸塚洋二先生がご存命なら、当然ノーベル賞だった。梶田先生も共同受賞したかもとコメントされている。
戸塚先生は神岡在住が長く、在所の若嫁の旧家は、カミオカンデの神岡町東茂住の地なので、両親は「戸塚さんとは・・」などと親しく呼ぶ。ご近所付き合いだった。7日の新聞では71歳になられた戸塚さんの奥様の談話「神岡グループの受賞でしょう」とコメントも。

そして今回の 梶田隆章先生、奥さんは埼玉から神岡に近い富山大沢野へ移住されてお住まいと。ここは利根川先生の幼少時の地、奥様のコメントと二人は埼玉大の弓道部の仲間同士で夫が大学院の時結婚されたとか。
それに富山市出身 島津製作所の 2002年 科学賞 田中耕一先生 
同上 1982年 医学賞 利根川 進先生

ふ~ん、やはりノーベル街道濃厚だ。
郷里飛騨はノーベル賞に沸いているそうです。それにしてしても朝日は通り一遍の報道で面白くない。
そうそう新聞もテレビも無視するが、カミオカンデの光電管のメーカー やろまいか精神の 浜松ホトニクスの功績 を忘れないように。