たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

名張毒ぶどう酒事件・奥西氏死去

2015年10月07日 | その他

 冤罪の犠牲者奥西勝氏89歳、収監43年で獄中死された。した、ではない、されたと敬語を使うべきだろう。江川紹子氏はテレビでも「第7次再審請求裁判をやるべきだった。日本の刑事訴訟に汚点を残した」とコメント、「奥西さんと二度目にして、最後の対面をしてきた。髪はふさふさ、黒髪が多く、思ったより痩せておらず。日本の刑事司法の問題点を世に知らしめるための人生だったのか…。」とツイートし、6日にはヤフ―ニュースで論評を公開された。

江川氏は「名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫)」の著書もあり、図書館へ行って検索したが無かったので
「冤罪の構図 やったのはおまえだ」社会思想社 1991.3 刊 を借りてきた。

当方、最初に「あとがき」を読む癖がある。この本の「あとがきにかえて 今、なぜ冤罪を問うのか」の章は、国家権力、裁判所の傲慢さと、一度判決すると再審は中々困難である日本の刑事訴訟の本質を、例証も多く引用し鋭く指摘していた。
内容は9章にわたり冤罪の本質を問うもので、25年も前の本、新品同様、今でも新鮮、氏が5年間勤めた神奈川新聞社を退社しフリーとなった最初の仕事で、月刊誌「諸君」に掲載されたものである。

今度の報道では中日新聞が地元でもあり一番充実していた。6日には奥西氏の遺児2人のことも報道し、長男は奥西の息子であることを隠して生き、63歳で既にがんで死亡していること。娘もどこかでひっそりと生き、母親は安アパートに住み亡くなったことも報道していた。
奈良県に住む奥西の妹(85)は今度第9次再審請求をする、
奥西氏が現場検証に連れて来られたとき、母を亡くした二人の遺児が「お父さん」と呼びかけたが、抱くことは叶わなかったとも。奥西氏はハンサムで最初は近鉄勤務だったとも。
奥西さんは3畳半ほどの独房に住み、毎日毎日9時から袋貼り、お昼になると今日は処刑されなかったと安堵した。

冤罪は多くの人の人生を奪うものだ。来週一緒になる名古屋から来るゴルフ仲間の亡父は、「帝銀事件・平沢貞道を救う会」の活動をされて、平沢氏から贈られたテンペラ画を保存していると言っている。