たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

報恩講

2013年01月09日 | お寺参り

7日正月、七草粥の月曜日は寒気が厳しいが好天に恵まれた。
子どもの頃は貧しくても自作農家だったので、3日正月までは白餅、後は餅草の草餅、粟餅など雑穀餅だった。
7日と15日正月だけは白餅だった。餅は囲炉裏(いろり)で焼いて鉤吊に吊った鉄鍋の味噌汁が雑煮代わりだった。鉤吊(かぎずる)はカゲずるとなまって言っていた。
鉤吊は自在鉤のことで、今ネットで調べてもなかなか出てこない。ようやく金物の町富山県高岡市の販売店の写真が見付かった。小猿という長さの調整部分は勿論写真のような立派な鯉ではなく、一本の鉄棒だった。
五徳も勿論あってそれに網デッキで餅を焼いた。五徳の写真も出てきた。懐かしい。

孫達は自在鉤も五徳の言葉も知らないだろう。この日の朝、高校生の孫娘に起こされ送ってくれと頼まれた。
気分を変えていつものルートでなく、岐阜市街地通過を選んだまでは良かったが、長良橋を渡って長良高校へ行くのを勘違いして、忠節橋という3本目の下流の橋を渡ってしまってから、岐阜北高校と勘違いして来てしまったことに気づいた。モウロクが始まったのかもしれない。長良川添いにまた随分戻った。
道理で途中で孫が、もう曲がらなくていいのかと、聞いたのに・・・情けない。

それからいつもの喫茶店へ戻ってモーニング。一旦家へ帰り10時半手次寺の報恩講にお参りした。
報恩講は宗祖親鸞聖人の恩徳(おんどく)に感謝する真宗大谷派の重要儀式だ。
昔は晩秋に各家で行ったが今はほとんどやらない。
今日は寺の本堂内で役員が受付、三季と相続講1,500円を手続きする。本山への納付金らしい。それから布施を任意の金額なので、3,000円を包んで志納した。昔は米だったらしい。
年忌法要のある人はこの本堂の受付で、住職と堂守りさんに予約日を申し込むことになっている。

それから庫裏へ回り客間でお斎(とき:正式には非時)すなわちお膳の食事を頂いた。
玄関に出仕役のお名前が張り紙してあった。地区毎の講がお手伝いされる。
総代1名、月当番2、受付6、膳方4、給仕5、汁方5、丸揚・生酢5、飯方3名と、大人数でお世話される。古来からの内容としきたりなのだろう。
私は講に所属しない団地の新参者なので、お招ばれするばかりで出仕役をすることは無く恐縮している。
私より年輩の男性老人が正座されにじり膝で給仕、飯盛りをされていた。