たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書・学問のすゝめ

2013年01月02日 | 読書

有名な福沢諭吉著「学問のすゝめ」岩波文庫が手元にある。息子のどちらかが高校か大学の時、教科で習ったのか書き込みや線引きがある本だ。
恐縮だが中味はほとんど読んでいない。斜め読みで少し読んで見ても、さすが140年も前の著作なので、半分以上が理解できない難解な文章だ。
それでも岩波書店が現代人に読みやすいよう、原文を尊重しながら後世の研究者、長野和吉氏による再編集にした本である。
例えば、「云う」は「いう」「言う」に改め、「云く」は「云く(いわく)」とルビを振ったとある。ブログの記述に気をつけよう。小泉信三氏が解説されているがこれがまた難解である。当方先ず、あとがきや解説から読み始める癖がある。
若い人のブログを読むと、諭吉さんといえば1万円のことをいっていた。

文庫の表紙には”「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。著名なこの一文で始まる本書は、近代日本最大の啓蒙家である福沢諭吉(1835~1901)が、生来平等な人間に差異をもたらす学問の意義を、平易な文章で説いた17の小編からなる。西洋実学の批判的摂取をすすめ、明治の人心を啓発したその言は今日も清新である。(解説=小泉信三)”と書いてあった。

”天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各々安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。・・・”

なるほど今に通用する達見だ。ちなみにこの<学問のすゝめ 初編>は福沢諭吉と小幡篤次郎氏の同著である。息子の書き込みは<天>を造物主と鉛筆で書いている、良い先生に教えて頂いたのであろう。

この本は第1編に当る初編の前に、<合本学問之勧序>編がある。”明治5年2月第1編を初として、同9年11月第17編をもって終わった。”とあり、小編で発行したのを明治13年7月30日に合本した記であった。

この序で17編の発行部数を紹介していて、初編は20万冊を下らず、全編で70万冊、偽版も出たらしく、”仮に初版を、真偽版本をあわせて22万冊とすれば、これを日本人の人口3千500万人に比例して、国民160名のうち1名は必ずこの書を読みたるなり”、と記している。
小泉信三は解説で、”今日日本の人口を仮に8千万人として、これに160分の1を乗ずれば50万部となる”と解説している。小泉の解説は記述日が無い。この当時の日本の人口はこのくらいだったのか。第5編は<明治7年1月1日の詞>で、内容は現代に通ずる事柄が随所にみられた。

・・人間些末(じんかんさまつ)の事務と雖(いえ)ども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾(そう)するところに向かって奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるが如し。・・”

昔の人は随分勉強したのですね。当方の枕元に寝酒代わりの本、孫が買ってきた文庫本
「一日の終わりに50冊の名作一編」(成美文庫 清水義範著)と、先週映画の帰りに買ってきた、
「ことばの食卓」(ちくま文庫 武田百合子著) 武田泰淳氏の妻の名エッセーがある。

ブログなどにはまって読書がおろそかになってしまった。新年にあたり今年は少し本を読むべきだと思った。
元旦から旅行でこの稿は日時指定で、予定稿でアップしました。パソコン電源に関係なく時間が来れば、自動的にこの駄文が世間の目に触れるのです。諭吉さんがご覧になったら驚かれるね。