たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

お彼岸法会3

2012年09月26日 | お寺参り

念仏法語(横川法語:よかわ法語)

それ、一切衆生、三悪道(さんまくどう)をのがれて、人間に生まるる事、大いなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも餓鬼にはまさるべし。こころにおもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず、世のすみうきはいとうたよりなり。人かずならぬ身のいやしさは、菩提をねがうしるべなり。
このゆえに、人間に生まるる事をよろこぶべし、信心あさくとも、本願ふかきがゆえに、頼まばかならず往生す。念仏もの憂けれども、唱うればさだめて来迎にあずかる。功徳莫大なり。此のゆえに、本願にあうことをよろこぶべし。
また妄念はもとより凡夫の地体(じたい)なり。また妄念の外(ほか)に別のこころなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にあるべきとこころえて念仏すれば、来迎にあずかりて蓮台(れんだい)にのるときこそ、妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りにしまぬ蓮(はちす)のごとくにして、決定(けつじょう)往生うたがい有るべからず。妄念をいとわずして、信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。

三悪道とは 六道のうち、地獄道、餓鬼道、畜生道の3つの世界のこと。

妄念とは 迷いの心。迷妄の執心。また、誤った心の思い。妄執。*横川法語〔985〜1017〕

仏教と蓮)意味はこちらで。彼岸会では正信偈の一句 分陀利華(ふんだりけ)は、古代インド語(サンスクリット語、梵語)で白蓮華をブンダリーカといった。その音訳であると説明。蓮根でも白蓮根は美味しいそうです。