たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

歌手2年、総理1年使い捨て

2012年09月06日 | その他

柔肌の熱き血潮に触れもせで淋しからずや道を説く君 (与謝野晶子)
歌の意味は反戦歌であると理解している。ネットの解説もどうぞ。ご存知この情熱歌人晶子さんの孫が前経済財政相の与謝野馨氏である。

この政治家は昔からその点で興味があった。氏のホームページも何度も見たし、与謝野家の人びとのページも見ている。

9月5日の新聞には与謝野さんは次回衆院選には立候補せず引退と報じた。
“8月28日には野田佳彦首相が消費税関連法成立の最大の功労者として公邸に招待された。(こういうところが野田さんは立派だ)
首相は「与謝野さんほどの経験はまだ私にはない」などと述べて謝意を表明した。
与謝野さんは下咽頭ガンを患っていて最近は声が出にくいため療養に専念するとあり、公邸の席では「2020年ごろに解決困難になる問題」などをペーパーで野田首相に提示し、10年後の日本が財政問題、石油などの資源調達に苦しむ可能性があることをメモに書き首相に訴えた。“とある。

私は、与謝野さんを本当の政治家と理解している。自派の現職総裁谷垣禎一氏を選挙の顔や派閥力学で引退せよと引導を渡す、古賀誠氏などは政治屋であると解釈している。

与謝野さんの闘病記、編集者の質問に答える(ガン闘病と温かい改革宣言)が文芸春秋2007年10月号に掲載され所持している。----咽頭ガンから生還した男は安部政権の救世主となるか---である。
華々しく発足した安部内閣は「少年官邸団によって機能不全に陥った安部官邸を建て直せるか」と、当時の状況で官房長官の重責を担われた。
2011年には野田首相に乞われ「たちあがれ日本」から、無所属に転じ経済財政担当相に就任、税と社会保障の一体化を主導された。

下咽頭ガンの手術は2006年10月に国立がんセンターで、執刀医は与謝野さんが金融兼財政相の時に政務官を仕えた、後藤田正純自民党衆議院議員の実の兄さんが担当された。
正純議員の父は医師、中曽根内閣で名官房長官だった後藤田正晴氏は大叔父にあたる。
正純氏の妻はNHKドラマ「蝉しぐれ」で好演した女優水野真紀である。徳島のプリンスで艶聞も華やかだ。
脱線したが、与謝野馨氏は国家財政の立直しに奔走され、消費税増税の目途は付けられたので、今度は野田佳彦首相か、谷垣禎一自民党総裁が、残された課題の社会保障の一体化にすぐ取り掛からねばならない。この二人が責任をもって次期首相をやることが本当は日本の為なのだ。
70才から75歳までの前期高齢者の医療費負担が、本来の2割になっても国の現状から仕方がないではなかろうか。

「歌手2年、総理1年使い捨て」----竹下登氏の名言はもう卒業しよう。