たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書 文芸春秋

2012年09月05日 | 読書

自民党総裁選は乱立の模様と報じている。現総裁谷垣禎一氏の家系について、図書館から借りてきた月刊誌・ 文芸春秋2011年12月号 現代の家系 谷垣禎一 陸軍謀略機関の祖父から届いた「千字文」(石井妙子著)を読んだ。

”父:谷垣専一氏は元農林官僚・政治家
母:安紀さんは元陸軍中将・影佐禎昭氏の娘
祖父:影佐禎昭(かげさ さだあき)氏は元陸軍中将

影佐は戦時中、中国で陸軍謀略機関の長の軍務につき、国民党政府党首、蒋介石に次ぐナンバー2の汪兆銘の信頼厚く、日中和平工作に奔走した。
陸軍師範学校を出て、陸軍大学校に進む、恩賜の軍刀を下賜され卒業した。成績はずば抜けており、その後、東京帝大政治学科へ聴講生として3年間通学した、政治や経済を語れる知性的・文学的軍人だった。
彼はその後、影佐の言動を嫌った東条英機に、懲罰人事でソ連国境の東寧へ左遷され、さらにラバウルへと転進させられる。50歳に手が届く頃で、結核で健康を害していた影佐には、死に行けとの命令だった。
東寧の頃、娘3人で男の子がなかった影佐は自分の信念を継がせたいと、長女の婿探しで、当時東大を出て農林省の優秀な官吏で満州へ派遣されていた青年、谷垣専一に白羽の矢が立てられ、昭和19年二人は見合い結婚する。
長男が生まれ奇しくも影佐と同じ誕生日だったし、専一は敬愛していた義父の名から一字を取り「禎一」と名付けられた。

専一は戦後、同郷の芦田均元首相の死去に伴い後任に推されるが、妻の安紀は「荷が重過ぎる、わたしの命がない」と反対する。専一は「男の夢をかなえさせてくれ」と出馬する。
当選して間もなく安紀は、ガンで42歳で亡くなるが、夫はそのとき53歳、後妻を勧められても独身を通した。そして政治の要職を歴任する。

息子、谷垣禎一はそのとき20歳の東大生、山にのめりこみ留年を重ね、卒業は8年間かけて27歳の時、今度は弁護士を志すが合格は7年後だった。
30代後半まで遠回りして過ごした青年は、専一が亡くなると、父は政治家への転身を反対していたが、宮沢喜一などに説得され出馬し、十数年後には重要閣僚に名を連ねるようになった。”

今度の自民党総裁の再選は、真面目な人、優等生、アクがない、極端な発言や人気取りをしないなどの人柄が、逆に災いし選挙の顔でないと人気がない。
3年間の任期中首相の大権にもかかわらず、解散要求ばかり声高にし、森元首相の忠言も何度もあった。
テレビや長老に受けがいいとか、選挙向けと言われる石原伸晃や、石破茂などより、保守本流の政治家で血統も申し分なく、本来一番まともな候補者なのだ。
自民党も派閥や党利党略でなく、国民の生活を守り、国の将来を本当に託せる総裁を選んでほしい。現状は相変わらずで、自民党も壊れてしまったのか。次回選挙で政権奪還の保障はない。