Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

生きる

2010年06月29日 | Weblog

                
”貧乏人の子沢山”を絵に書いたような家庭に生まれた自分には兄姉弟が10人もいた。が、これまでに4人鬼籍に入っているので、現在は6人、いずれも高齢になって生き残っている。

先日、長姉から電話があった。77歳の彼女はここ数年内臓を患っていて兄弟の集まりにも顔を出さなくなっていたのだけれど、声だけは元気そうで、カミサンと長々話したあとで私に代わった。

「もう、話はひろこさん(カミサン)とあらかた終わっちゃったけどさ・・・ハハハ」
「そうなの・・・じゃあ、さよなら!またね(笑)」
「あ、あ、チョッと待ちな。バカ・・・」
「冗談だよ。元気かい?」
「元気なわけないだろう!片足だけ棺桶に入ったままどっちへも行けやしないよ!ホントにもう困ったもんだよ・・・(笑)」
「俺も同じさ」
「ウソつけ!お前さんはまだ働いてるそうじゃないか!それにオートバイなんかにもまだ乗ってるそうだし・・・いい加減で辞めろ!そのうちコケて死ぬぞ!」

なんとまあ口の減らない姉だ、と思いながら身体は弱っても気は張っている様子で一安心である。いつもこっちへ遊びに来るように誘うのだけれど、もう自分から出張ってくるのが億劫らしい。近いうちに彼女が好きなビールでも持ってこちらが訪ねて行くとするか・・・

先日のTV番組で、かの有名な日野原重明先生が小学生たちを前にして「何もせず唯長生きするだけでは意味がない。一生続けられる仕事を何か持つことが大切」と仰る。その通りだろうと思う。そうではあるけれど、極平凡な我々一般人には死ぬまで現役で働ける機会はそうそうない・・というのが正直なところだろう。だから大抵の人は座して死を待つがごとき終末を迎えざるをえないのだと思う。

去年、親族の結婚式で集まった折83歳になる長兄が「長生き」についてしみじみ語っていたけれど、末弟に近い私に「お前もこれから長々と生きなければならないと覚悟しておいた方がいいぞ!」と言っていたのを思い出した。生きるとは、そういうことなのだ。