Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

夜明けはいつ?

2010年04月29日 | Weblog

                         

佐藤雅美の「お白州無情」を読んだ。
江戸時代の末期、大原幽学という無名の実践的思想家(?)がいた。彼は元々無学に近かったから、体得したことを体系的に纏めたり表現したりする能力に欠けていたけれど、実は当時の官学である「朱子学」の教えに忠実に則り”聖人”であることを実践した唯一の日本人だったのである。

彼は見返りを期待することなく真心を込めて他人に善意を施し、正しく生きるべき道を繰り返し説き且つ実践した。やがて彼の指導のもとで共産主義的農業経営が成功し、教えを請う門人の数も増えたので村民が協力して大きな教導所を建てる。

ところが幕府の八州廻り(特別巡回警察)に目をつけられ、怪しい人物として江戸送り、つまり奉行の取り調べを受けることになる。いろいろ調べたけれども彼を罰するような理由が何も見付からない。
にも拘わらず、氏素性が明らかでないという本筋とは無関係なことで追求され、審理そのものが理不尽に捻じ曲げられてしまう。幽学の苦悩は深まり、最後は自害して果てる。

これは江戸時代の話として単純に片付けられないものを感じた。権力の横暴は古代から現在に至るまで連綿として続いているからだ。
去年8月の衆院選挙で自民・公明連立が敗退し、国民の負託を受けた民主党が政権を担うことになった。発足後半年であるが、国民主権の本来の政治を取り戻そうという姿勢はそのままだし、予算・事業計画の見直し、官僚の天下りの温床となっている法人事業仕分け、普天間基地移設計画の見直し(米国との対等な関係へ模索)、教育費補助、高校教育の無償化、どれをとっても我々一般国民に直接不利益をもたらすような負の政策は一つもない。

にも拘らず、この半年間のマスメディアによる恣意的な鳩山政権に対する攻撃的な論調は一体どうしたことだろう。何故もっと静かに新政権を見守る姿勢がとれないのだろう。
発足して僅か半年、新しい政治が動き始めたばかりなのに一体なにをどれほど性急に結果を求めなければならないのか? 理解に苦しむ。

政治資金についての鳩山、小沢両氏に関する疑いも、検察の捜査ではなにも見付からず不起訴になった。それなのにまたぞろ検察審査会なる民間人による話し合いで、小沢氏を起訴せよという。
人殺しとか公金横領とかの凶悪、重大な案件ならイザ知らず、”何だかか疑わしい”というだの極めて庶民的感覚だけで、検察に起訴させよとの判断はいかがなものだろうか。
そんな下らないことで、ようやく国民主権の政治を取り戻そうと動き始めた新たな動きに水を注すな!と云いたい。江戸時代の権力構造と同じだ。

なりふり構わず別件ででもなんでも逮捕して自分たちの意にそぐわない相手にダメージを与えたいのだろう。次の参院選挙までに何とか小沢氏を引きづり降ろしたい意図がみえみえだ! これまでの自民党政治に「ノー」を突きつけ、民主党に政権を任せた国民の”意思”を彼らは踏みにじるつもりなのだ。

日本の真の夜明けはまだまだ先なのかもしれない。

これらの懸念や政治の裏側の真実については「永田町異聞」や「植草一秀の『知られざる真実』」に詳しい。