今月、誕生日がくると68歳になる。若い頃は自分は60才くらいまでは生きるだろう、とただ漠然と考えていた。それが間もなく古希を迎えようとするまでに、恥ずかしげもなく生きてしまった。
老いてなお健康でいられることは有り難いことには違いないけれど、だからといって為すべきこともなく唯時間だけをやり過ごすだけの老後なら、正直のところ長生きしたくない。
けれども好むと好まざるとに拘わらず、今の我々日本人はうんざりするほど長い老後を送らなければならない惧れが十分にあるのだ。
己の終末がどのようなものになるのか凡その見当はつく。老いは確実に迫ってきているのだ。今はどんなに頑張っていても、やがては肉体的にも、金銭的にも追い込まれてくれば、いずれ精神的な衰えもやってくるに違いない。
幸いにも今現在はまだ与えられた仕事があって、曲りなりにも会社の役にたっているという自負があるから毎日身体を鍛え、本を読み、合間をぬって自分の好きなことをやる、という若い頃と余り変わらぬ生活が続いているのだけれど、この生活にもそろそろ先が見えてきた。
やがて終止符が打たれるときが遠からずやってくる。そのときこそ、自分にとって真の老後が始まるのだけれど、まだその準備は何もできてはいないし、何をどうしたいのか考えすら纏まらない。
困ったものである。
何もすることが無くなった時、有り余る時間を自分は果してどのように過ごすのだろうか? 読書にも飽き、面白くもないTVを観て、出掛けるあてもなく俳諧し、疲れて眠るだけの毎日なら、数ヶ月で脳ミソが溶けて何も考えなくてよい「幸せ」が訪れるのだろうか? それとも退屈に押しつぶされそうになりながら、どうでもよいことに時間を費やしているのだろうか?
「生きる」ためには、どうしても「仕事」に代わる「何か」を探さなくてはならない。老後を「生きる」とは、なんとシンドイことか・・・と思う。