まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.759 滋賀の旅2017春(1)・関ヶ原

2017-06-15 04:49:27 | 旅行記
おはようございます。












GW後半の3連休初日の5月3日、今年初めての滋賀の旅は関ヶ原から北国脇往還を走って木ノ本へ、そこから南へ折り返して長浜、米原まで走りました。波瑠の旅・・・最近は「はる」で返還すると一番に「波瑠」と出てしまうんだよなあ、こんなところにまでドラマにはまってしまった影響が・・・そう言えばドラマも来週最終回やねえ、今回も面白かったわけですがその話はまた別枠でのお伝え、と言うことで滋賀の旅2017春編行ってみることとしましょう。
まずは写真1枚目、JR関ヶ原駅へと下り立ちました、電車は『特別快速』、「特別」って何だろうねえ、中部地区には快速に新快速とあって更に特別快速、関西で走っている○○快速みたいなネーミングにしないのは東海の意地なんかな~。そんなわけで関ヶ原駅、山を越えて拓けた小さな町にある駅は朝早い時間だと周りの山から吹き下してくる風が冷たくて少し肌寒い、ホームに下りたのも自分(一人称)を含んで3人ほど、歴史の最重要地と言った場所もまだ朝早い時間でまだ静寂の中と言うことだろう。早速駅前で相棒君を立ち上げる、この車両で北近江を走るのは初めて、はやる気持ちはありありだがテンションを上げるのはもう少し先にしておこう。下2枚の写真、駅前には古戦場の町をアピールするかのように旗や看板がたくさん掲げられている、東西分け目の大決戦はほんの数時間で終わってしまったが、歴史の流れの中では10年近く続いた応仁の乱よりもよく知られている。まあ関ヶ原と言ったら古戦場巡りとなるはずなのですが、今回はそんなに時間もないのでサクッと町を巡って行ってみることとしましょう。











まずは駅前から国道21号線へと出る、町の中心地となる所なのだろうが道は狭く車は多く、自転車で走るには気をつけて行かなければならない。この道が旧中山道ここが関ヶ原宿に当たるわけだが、交通量が多い道となってしまうと旧街道の雰囲気も町並も期待したほどは見られない。とりあえず交差点にあるコンビニで旅に備えての腹ごしらえ、駐車場にはたくさんの車が止まっていて、ツーリングにイクノだろうかバイクの列も多く見られた、やっぱりGW初日、天気もいいので皆朝早くから動き出していると言ったところか。国道を少しだけ西へ行くと西首塚、戦場となるともちろんたくさんの人たちが命を落としていったわけで、その人たちを弔う、祀ると言うことである首塚、何か出てきそうであんまり夜には訪れたくない場所、昼に訪れるにはまあ観光名所と割り切って来れるのでいいでしょう。去年の『真田丸』今年の『おんな城主直虎』と関ヶ原が舞台になる大河が続くので、それを見て関ケ原の合戦が繰り広げられた場所とはどんな所だったのだろうと訪れる人も多いだろうが、旧街道沿いはそんな物騒な合戦があったとは思えないような雰囲気。歴史の舞台となった所はここからは外れた、もっと見通しの聞く場所だったのだろう・・・となるとそれは関ヶ原駅の北側に当たる所かな、せっかく来たのだからいろいろと巡ってみたいとも思ったが、時間もないことだしそろそろ北国脇往還のスタート地へと向かってみることとしましょう。









駅の北側は向こうに山が大きくそびえ、少し小高い所にある平原だったと言うような場所、この辺りに各陣営が陣地を敷いた所となるらしい。駅でもらった観光パンフレットぬは誰の陣がどこにあったかと言うのが詳しく記されているが、それをひとつひとつ回るだけでも一日はかかってしまいそうだ。駅前から続く跨線橋を渡ってすぐの所にあるのが東首塚、またまた物騒な場所と言う感じだが、さっきの西首塚が道に面した所にあったのと比べると、東の方はそれなりに広い場所が用意されていて何か扱いの差を感じてしまう。東西とあるが特に西軍東軍でそれぞれ分けていると言うわけでもなさそう、まあ死んでしまったら身分がどうの勝ち負けがどうのなんて関係ないですからね、これは徳川家康が命じて作らせたものと言うことだが、その辺りは勝者の武士の誇りと言うよりも持って生まれたヒューマニズムがそうさせたと言ったところじゃないですかね。その徳川家康の陣があったのが東首塚から少しだけ北へと行った所、写真4枚目~6枚目にある風景です、もちろん今は周辺には家が建ち道路が通り町ができているが戦国時代は何もなかった所なんだろう、そこに各武将が陣を張り戦況を見守っていたのだろう。それにしては戦いはあっと言う間に終わったとのこと、小早川秀秋の寝返りによって一気に形勢不利となった石田三成軍の惨敗とはもういろいろな処で知られた話だが、これも徳川家康が戦上手だったとか戦況に長けていたとか言うよりも、やっぱりその人の持った人徳があってのことと言う感じ、石田三成とは人間としての器の大きさが格段に違っていたのでしょう。その歴史が現在につながっているわけだからここはやはり一大転換地だったと言うことでしょう、天下分け目の関ヶ原、まだまだゆっくりと巡りたい気もするのですが今回は滋賀の旅、そろそろ行かなければなりません。そんなわけで始まりました2017春の旅、しばらくシリーズものとして続けていきますんで懲りずにお越しいただければありがたいことです、次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち