おはようございます。
前回に引き続き滋賀の旅冬編、重要伝統的建造物群保存地区である大津市坂本の町並巡りを続けていきます。今回はまず京阪坂本駅前を通る坂本のメインルートから北側へ分かれる道へと入って行く。こちらも古い町並は健在、それは写真を見てもお分かりの通り、更に奥へと入ってみることとしましょう・・・とその前に。
今回は町巡りと言うことで走っているわけですが、坂本と言うと門前町、寺内町と言うことで本当に犬も歩けば寺社に当たると言うくらいに神社やお寺が多い。その寺院の中には織田信長の比叡山焼き討ちの被害を被った寺院もあったが、その復興に尽力したと言うのが坂本の琵琶湖沿いに城を築いていた明智光秀、『聞きこみ発見旅』JR湖西線の時に訪れていた西教寺はその代表的な寺院として紹介されていました。前回滋賀院門跡を紹介した時に引用したwikiの文章には「天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺」とあったが、歴史のミステリーとして良く語られているのが明智光秀=天海上人と言うこと。まあそう言うくらいならさもありなんと笑い話のネタになりそうな感じもするが、その二人が共に比叡山のために尽力したと言う話があったとなると、同一人物とは言えなくとも何らかの関係があったのかも知れないと思いたくなる。まあ近しい関係となると親子、縁戚関係、師弟など・・・いろいろな実証で同一人物ではないと言う証明はされているわけだが、織田信長に何らかの違和的な感情を抱いていた明智光秀の精神を天海上人が体現していたとでも言ったところかも。
こちら側の道は先述した西教寺や日吉大社の参詣道となる所だが、もちろん参拝に興味のない自分(一人称)はそちら側に行くことはなく、付近をグルグルと巡るだけ。この辺りでも前回に紹介した坂本の町並の特徴のある石垣である穴太積みの風景が多く見られる、至る所が穴太積みであるのでそこが寺院か普通の民家か分からなくなってくる。参拝道からは少し外れた迷路のようにある道はメインルートの坂道とは打って変わっての静けさ、人の姿もチラホラとしか見ることができないくらい、観光客もこちらの方には入って来ないのかも知れない。石垣が高かったらそれこそ迷路のような道程で迷いそうな感じだが、自分(一人称)は方向感覚はしっかりとしている方なので何事もなく坂本駅へと戻ってくる、さあ、いよいよこの町ともお別れだ・・・。
と言うことで駅前で相棒君を寝床へと誘い(いやらしい意味にとらんといてよ)後は電車を乗り継いで帰ることに、切符は地下鉄の六地蔵駅まで購入、京都駅を経由しないで帰ることができるのは何か得した気分になってくる。坂本駅から電車を乗るのは多分これが2度目、1度目はもう何時の事だったか記憶がないくらいだが乗ったことはあった、実質初めての乗車と変わらないと言うこと。京阪電車は新幹線や近鉄と同じ広軌規格の線路幅のはずだが、その割には車両は小さく車内も狭く感じる、それは京津線系に限らず本線系もそうだが、京阪電車は急カーブが多いので小さな車両でなければならないのだろう。
さて、電車は坂本を出発、各駅巡りで見た風景も車窓から見るとまた違った感じで見える、やっぱり地元に根付いている路線らしく一駅ごとに乗ってくる人も多くなり浜大津駅に着いた時には立っている人もいた。そう言えばこの路線をテーマにしたNHKのドラマもあったなあ、やっぱりローカル線っぽい雰囲気なのに意外にも『聞きこみ発見旅』ではまだこの路線は取り上げられていない、聞きこみにはピッタリな線だと思うのだが京阪が渋っているんかな?電車は三井寺駅を出ると路面区間となり、ゆっくりと車や人に気をつけながら浜大津駅へと到着する、あ、交差点では写真を撮っている人もいますねえ。
浜大津駅は京津線と石山坂本線が合流するターミナル駅だが、ホームは島式の1面2線、これでこの駅を始発終点とする京津線とスルーする石山坂本線の電車の両方を賄っているので結構忙しい発着シーンが見ることができそう。と言うことで乗換え、やってきた電車はもう見慣れた感じの青い車両、地下鉄と直結してカラーが統一された感じで見る側としてはつまらなくなってしまった感じだが、ここは久しぶりの乗車となるので純粋に旅を楽しむとしよう。この間のNHKの『鉄オタ選手権』と言う番組では京阪電車が取り上げられていて、中川家や鉄オタマネージャーが峠越えの急カーブや傾斜でベンチがゆがんだ駅で盛り上がっていた、普段乗っている人にとっては何とも思わない路線でも旅人にとっては結構な乗り応えのある路線、山越え、急な下りから地下鉄とバラエティ豊かな路線をこの旅の最後の紹介として、滋賀の旅冬編、季節外れな写真ばかりを並べた旅の記録はこれにて終了といたします。次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
前回に引き続き滋賀の旅冬編、重要伝統的建造物群保存地区である大津市坂本の町並巡りを続けていきます。今回はまず京阪坂本駅前を通る坂本のメインルートから北側へ分かれる道へと入って行く。こちらも古い町並は健在、それは写真を見てもお分かりの通り、更に奥へと入ってみることとしましょう・・・とその前に。
今回は町巡りと言うことで走っているわけですが、坂本と言うと門前町、寺内町と言うことで本当に犬も歩けば寺社に当たると言うくらいに神社やお寺が多い。その寺院の中には織田信長の比叡山焼き討ちの被害を被った寺院もあったが、その復興に尽力したと言うのが坂本の琵琶湖沿いに城を築いていた明智光秀、『聞きこみ発見旅』JR湖西線の時に訪れていた西教寺はその代表的な寺院として紹介されていました。前回滋賀院門跡を紹介した時に引用したwikiの文章には「天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺」とあったが、歴史のミステリーとして良く語られているのが明智光秀=天海上人と言うこと。まあそう言うくらいならさもありなんと笑い話のネタになりそうな感じもするが、その二人が共に比叡山のために尽力したと言う話があったとなると、同一人物とは言えなくとも何らかの関係があったのかも知れないと思いたくなる。まあ近しい関係となると親子、縁戚関係、師弟など・・・いろいろな実証で同一人物ではないと言う証明はされているわけだが、織田信長に何らかの違和的な感情を抱いていた明智光秀の精神を天海上人が体現していたとでも言ったところかも。
こちら側の道は先述した西教寺や日吉大社の参詣道となる所だが、もちろん参拝に興味のない自分(一人称)はそちら側に行くことはなく、付近をグルグルと巡るだけ。この辺りでも前回に紹介した坂本の町並の特徴のある石垣である穴太積みの風景が多く見られる、至る所が穴太積みであるのでそこが寺院か普通の民家か分からなくなってくる。参拝道からは少し外れた迷路のようにある道はメインルートの坂道とは打って変わっての静けさ、人の姿もチラホラとしか見ることができないくらい、観光客もこちらの方には入って来ないのかも知れない。石垣が高かったらそれこそ迷路のような道程で迷いそうな感じだが、自分(一人称)は方向感覚はしっかりとしている方なので何事もなく坂本駅へと戻ってくる、さあ、いよいよこの町ともお別れだ・・・。
と言うことで駅前で相棒君を寝床へと誘い(いやらしい意味にとらんといてよ)後は電車を乗り継いで帰ることに、切符は地下鉄の六地蔵駅まで購入、京都駅を経由しないで帰ることができるのは何か得した気分になってくる。坂本駅から電車を乗るのは多分これが2度目、1度目はもう何時の事だったか記憶がないくらいだが乗ったことはあった、実質初めての乗車と変わらないと言うこと。京阪電車は新幹線や近鉄と同じ広軌規格の線路幅のはずだが、その割には車両は小さく車内も狭く感じる、それは京津線系に限らず本線系もそうだが、京阪電車は急カーブが多いので小さな車両でなければならないのだろう。
さて、電車は坂本を出発、各駅巡りで見た風景も車窓から見るとまた違った感じで見える、やっぱり地元に根付いている路線らしく一駅ごとに乗ってくる人も多くなり浜大津駅に着いた時には立っている人もいた。そう言えばこの路線をテーマにしたNHKのドラマもあったなあ、やっぱりローカル線っぽい雰囲気なのに意外にも『聞きこみ発見旅』ではまだこの路線は取り上げられていない、聞きこみにはピッタリな線だと思うのだが京阪が渋っているんかな?電車は三井寺駅を出ると路面区間となり、ゆっくりと車や人に気をつけながら浜大津駅へと到着する、あ、交差点では写真を撮っている人もいますねえ。
浜大津駅は京津線と石山坂本線が合流するターミナル駅だが、ホームは島式の1面2線、これでこの駅を始発終点とする京津線とスルーする石山坂本線の電車の両方を賄っているので結構忙しい発着シーンが見ることができそう。と言うことで乗換え、やってきた電車はもう見慣れた感じの青い車両、地下鉄と直結してカラーが統一された感じで見る側としてはつまらなくなってしまった感じだが、ここは久しぶりの乗車となるので純粋に旅を楽しむとしよう。この間のNHKの『鉄オタ選手権』と言う番組では京阪電車が取り上げられていて、中川家や鉄オタマネージャーが峠越えの急カーブや傾斜でベンチがゆがんだ駅で盛り上がっていた、普段乗っている人にとっては何とも思わない路線でも旅人にとっては結構な乗り応えのある路線、山越え、急な下りから地下鉄とバラエティ豊かな路線をこの旅の最後の紹介として、滋賀の旅冬編、季節外れな写真ばかりを並べた旅の記録はこれにて終了といたします。次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
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