まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.407 油小路通

2016-02-25 11:40:45 | みち
おはようございます。












今回は京都の道を行くシリーズとして、油小路通を1月の初めに走った時と二条へ映画を観に行った帰りにJR京都駅まで歩いた時の記録をミックスしてお送りしていきたいと思います。走り始めは一条通が交わる所の近く、この辺りは絹織物で有名な西陣の一番端っこに当たる場所、ここから南へ進んで行ってみることにしましょう。
あ、あなごさんだ、「やあ、フグ田く~ん」と誘ってきそう。ただこの辺り、特に古い町並や見所があるわけではなく、どうも退屈な風景が続くばかり。そう言えば確かこの辺りに・・・と思って堀川通に出るとすぐに見つかった、写真5枚目、6枚目にある場所は前にもここでお伝えしたことがあります、広岡浅子の実家があったとされる所。ちなみにちょうどええ具合にブスッとさされた話は小説の中での創作だと言うことです。










写真1枚目、2枚目にあるのは、ここが本能寺跡だと言う碑、場所は御池通に近い所。寺町通の御池通に近い所に本能寺と言うのがあったのはこの前ここでも紹介したが、織田信長がクーデターに遭った本能寺が実際にあったのはこの辺りだと言うこと。周辺の地名が本能とある、歴史の中では大きな政変の舞台になった本能寺の名はあまりにも有名だが、本能と言う地名は結構キラキラネーミングだ、京都らしいと言えばそれもあるけど。この辺りは古い町並もあって、やっと写真の枚数を増やせる所へと差し掛かってきたようだ。所々で見かける時代を感じる町名表示の看板、その地名の表示は縦軸×横軸+下ル+地名なので、目的地を探すときは結構分かりやすい。






映画を観に行った帰りに歩いた時は、三条通から油小路通へと入ったのですが、途中で大きな道路と交差する所は信号がないので、一旦堀川通まで出てそこで信号を渡ってまた油小路通へと戻らなければならない所があった。自転車で走っていても結構面倒なのに歩きとなると尚更だ、四条通も信号のない通のひとつ、堀川通の信号を渡って油小路通へ戻ろうと歩いていると、その間に細い道の通りがあって興味を惹かれたので、その道を歩いて行くことにした。その道は醒ヶ井通という名で自分(一人称)はもちろん今まで走ったことはない、自転車で走っていたら気が付かなかったかも知れない。狭い通りには古い町並が軒を為していてなかなかいい感じ、目に留まった風景は自然に足を止めてカメラに収める、そしてここでも出会った仁丹印の地名表示看板、最近はこう言った古い地名看板が気になって仕方がない。







醒ヶ井通は堀川五條交差点で終わり、ここの横断歩道を渡って再び油小路通を進んで行く。右横にはもうすぐに堀川通が通っていて、車が多く行き交っている音が聞こえてきそうなくらいにこちらの通りは静かでひっそりとしている。写真1枚目はこの区間で横に交わる六条通を撮ったところ、ここは郵便局の前で、一方通行の表示の向こうにある通りが油小路通である。四条、五条、七条と東西を結ぶ大きな通りに比べると六条通は不憫なくらいにその存在感は薄すぎる。ここを東に行くと戦国時代の刑場があった六条河原、ただ鴨川辺りと言うだけではっきりした場所は分からなかった。そう言えば大河『軍師官兵衛』で荒木村重の妻、だしが処刑されたのがその六条河原だった、八条のシネコンに『女子ーズ』を観に行った時にこの辺り走ったなあ、桐谷美玲つながりと言うことだけやったけど。
油小路通はこの先西本願寺の門前町と言う感じの所を通り過ぎる。ドラマ『鴨川食堂』は東本願寺だからここからだとちょっと東側か。七条通を過ぎるとJR京都駅の西の外れた辺りにたどり着く。とりあえず今回の走り、歩きはここで終わり、ちなみに油小路通の隣でずっと威圧感を漂わせてきた堀川通もJR線の下をくぐる手前で終わり、ここから南へと向かう大きな通りが油小路通を名乗って、近鉄京都線の高架を沿うように進む京都市の幹線道路となる。そんなわけでちょうど時間となってしまいました。今回は是にて終了としておきます。       まちみち