まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1759 都跡巡り・八条東二坊界隈

2022-05-13 10:14:57 | チョイ走
よろしくお願いします。





今回はチョイ走りで平城京南部の町並を巡った記録をお送りしていきます、まあ暇つぶしで近辺を走った時に撮った写真を並べただけなんですけどね。そんなわけで話が膨らむかどうか心配なところですが、まずは都巡りと言えば平城京のジオラマ、と言うことで今回巡ったのはこちらです↓↓↓


















ジオラマでは赤枠で囲った所、平城京で南東部に当たるエリアです。写真4枚目からある道は県道41号線に当たっているが、車がすれ違うのも難しそうなほどの狭さ、この道は都があった時代には八条大路に当たり、その経路については以前ここでもお伝えしたことがありました。旧街道の雰囲気が漂う町並の中で変則的な十字で交わる道が東三坊大路、この道もここではよく取り上げる道ですが今回は脇役です。道は更に狭くなって先を進んで行くと、次のゾーンの一番上の写真にある辰市の道路元標がある場所へとたどり着く↓↓↓


















上のジオラマでは赤枠の中を通っている八条大路に沿って左半分が居住地とは違うエリアがあるのが分かると思いますが、これが平城京にあった東西の市のうち、東の市に当たる所です。以前この近くで富本銭が発掘されて、お金が落ちているのは誰かが落としたからだろうか・・・と書いたこともありましたが、秋篠川には船着き場・・・これについては次回の都跡巡りでお伝えすることになると思います・・・もあったりして、その辺りからも商業が盛んな場所だったと言うことがうかがえます。以前方角や時間、干支などに興味があっていっちょかみ程度にいろいろと調べたことがあったのですが、「辰市」と言う地名には平城京の南東、それが干支では「辰」の位置にあったからこの地名が付いたと言う説もあります。まあ辰市と言うと戦国時代にあった松永久秀と筒井順慶の抗争の舞台となった辰市城で有名・・・と言うほどではないな、余程歴史に詳しい人くらいしか知らないでしょうね。その辰市城あった場所は今は保育園になっていて、特にここに城があったと言うような表示もなく、観光地としてのPRも全くしていない、まさに知る人ぞ知るという感じの所でしょう。


八条大路に沿った所に辰市小学校があり、その向こうで交差する道が西二坊大路に当たる道、ここでは○○大路と言っていますが地元ではそんな呼び方は全くされていません。自分たちが住んでいる町が平城京の跡にあると言うこともほとんど意識されてないでしょう、まあ1400年以上が経過していて歴史の中でもさほど取り上げられることのない奈良時代です、人々が歴史の授業で習ったこともほとんど忘れ去られているのではないでしょうか。でもせっかく自分が住んでいる歴史のある町なので、ちょっと興味を持ってほしい気もします、一旦のめり込むといろいろと知りたくなってくることもあるはずです。最初の方では暇つぶしと書いた都跡巡りですが、それは同時に再々・・・と再の字がいくつも重なる発見の巡りです、見慣れたはずのちょっとした風景から1400年前の雰囲気を見つけて行きたいと思います。













いきなり神社巡りになったかと思うような写真の並びですが、この辺りは神社巡り本編でも紹介することと思います。まずは1枚目~3枚目にある東九条天満宮、ここでは以前平城京廃寺巡りで訪れたことがあります、団地の横の薄暗い森の中にある小さな神社は東三坊大路沿いにあり、都があった時代にはここに姫寺と言う寺院がありました。近辺には姫寺の名前を付けた駐車場もあって、1400年この寺院の名前が地元に受け継がれていることにはちょっと感動してしまう。写真ではその次を飛ばして下6枚にあるのが八条大路沿いにある辰市神社、ここは以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所、そして昨年この神社の前でカメラを落としてしまい、お釈迦にしてしまった不吉な場所でも・・・ここに来るとトラウマのようにそれを思い出してしまった・・・あります。不吉と言えばこの神社も松永筒井抗争の舞台となり神社の境内もほとんど消失してしまったとか、でも今は集落の中に鎮守の杜として静かにたたずんでいる、これも1400年の歴史の積み重ねの結果なのでしょう。でも歴史なんてまだまだこれからも積み重なっていきますからね、200年、500年、1000年後には奈良の都がどう語られているのでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち