おはようございます。
京都市内の西側を南北に貫く西大路、京福電鉄北野白梅町から更に先へと進むとたくさんの観光客が行き交う場所へとたどり着く。ここが世界的観光地の金閣寺への入口、その交差点から東へと向かう道が鞍馬口通で、道は狭く普通の民家が軒を為す通りである。少し緩やかな下り坂を進んで行くと金閣寺橋と言う名前の小さな石橋を渡る、金閣寺からは少し距離があるし西大路でその賑やかな雰囲気は分断されたような感じの場所だが、ここも参拝道であると言うことを感じさせられる所だと言ったところか。往時は鞍馬と金閣寺を結ぶ道として賑わっていたことだろう、さて、先へと進んで行くことにしましょう。
千本通の交差点を過ぎると少し旧街道の雰囲気が漂う風景となってくるが、それでも基本は庶民的な何気ない生活の光景がうかがえる所。賑やかすぎず寂しすぎず、観光客がここを目当てで通るわけでもない、いかにも京都の道と言う感じが自分(一人称)の好きなところ。何気ない風景でも来たくなってしまう道はここからがいよいよハイライトと言った感じの場所へと差し掛かって行く。
建物が密集している所だが、通りのすぐ左側には千本通の名前の由来となった千本の卒塔婆が立っていたと言う船岡山があって、民家が途切れた所で当然と言う感じで見えてくる。建勲神社と彫られた碑の前を通り過ぎるとすぐに、進行方向右手に写真1枚目、2枚目にある船岡温泉、写真にある通りここは国の登録有形文化財に指定されている。温泉と言っても温泉ではなく普通の公衆浴場だが、脱衣場や浴場など人が裸になる場所が文化財登録されているのも何かおかしいような気もする、入浴はなしで普通に見学したいからと言って入って行くわけにもいかないもんね・・・。その先で見つけた仁丹印の町名看板、この辺りはもう時代を感じるアイテムとして、自分(一人称)の写真のコレクションにも増えていく一方です。
更に進んで行くと智恵光院通との交差点、その一角に古い建物があり通りを囲むようにして行列ができている。その行列の前で相棒を止める、店にも行列にも興味はないよ、惹かれたのはこの建物の2階の軒下にかかっている仁丹印の看板。カメラを向けてると「こいつ何撮ってんねん」と言う感じの目で見られる、そっちこそ狭い道に何並んでんねん・・・。その隣にあるのが写真3枚目にある『さらさ西陣』というお店、何の店かは分からないがお客さんがいるのが見える。ここは元は公衆浴場で入口には温泉マークの看板がかかっている、『旧藤ノ森湯』と言う名前で、ここも登録有形文化財に指定されている。
堀川通の交差点では紫明通の大きな道が左に分かれて行って、鞍馬口通は右側の隠れたようにある細い道へ。所々に古い町並は見かけるが、ここも基本は普通の生活が垣間見られると言った感じの普通の民家が軒を為している所。もう写真のネタになるような場所もほとんど見当たらず、一路東へ、名前の知れた道を何本か交差して景色が開けた所で鴨川に架かる橋へとたどり着く。鞍馬口通と言う名前の道は一応ここで終わりとなって、ここから先は東鞍馬口通となる、ってそのままやおまへんか。
自分(一人称)は初めて鞍馬まで走った時、名前がそうだからと言うだけでこの鞍馬口通から東鞍馬口通を至って鞍馬通へと入って行った。鞍馬口と言っても道は東西に進むだけだから、結局叡山鉄道線沿いに来た時には何か損した気分になった、ここに出るなら素直に鴨川沿いを通って出町柳を経由した方が良かったかな・・・と。ただ気になったのは何を基本にして鞍馬口通と名付けたのだろう、と思って調べてみると、この道の終わりになる出雲路橋が架かっている界隈が鞍馬口町と言う地名だった。位置的には御所を基準にしてここが鞍馬へと至る玄関口となった所だからこの地名になったのだろうか、あまり無責任なことを言うわけにはいかないので今日はこれくらいにしておきますか。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
京都市内の西側を南北に貫く西大路、京福電鉄北野白梅町から更に先へと進むとたくさんの観光客が行き交う場所へとたどり着く。ここが世界的観光地の金閣寺への入口、その交差点から東へと向かう道が鞍馬口通で、道は狭く普通の民家が軒を為す通りである。少し緩やかな下り坂を進んで行くと金閣寺橋と言う名前の小さな石橋を渡る、金閣寺からは少し距離があるし西大路でその賑やかな雰囲気は分断されたような感じの場所だが、ここも参拝道であると言うことを感じさせられる所だと言ったところか。往時は鞍馬と金閣寺を結ぶ道として賑わっていたことだろう、さて、先へと進んで行くことにしましょう。
千本通の交差点を過ぎると少し旧街道の雰囲気が漂う風景となってくるが、それでも基本は庶民的な何気ない生活の光景がうかがえる所。賑やかすぎず寂しすぎず、観光客がここを目当てで通るわけでもない、いかにも京都の道と言う感じが自分(一人称)の好きなところ。何気ない風景でも来たくなってしまう道はここからがいよいよハイライトと言った感じの場所へと差し掛かって行く。
建物が密集している所だが、通りのすぐ左側には千本通の名前の由来となった千本の卒塔婆が立っていたと言う船岡山があって、民家が途切れた所で当然と言う感じで見えてくる。建勲神社と彫られた碑の前を通り過ぎるとすぐに、進行方向右手に写真1枚目、2枚目にある船岡温泉、写真にある通りここは国の登録有形文化財に指定されている。温泉と言っても温泉ではなく普通の公衆浴場だが、脱衣場や浴場など人が裸になる場所が文化財登録されているのも何かおかしいような気もする、入浴はなしで普通に見学したいからと言って入って行くわけにもいかないもんね・・・。その先で見つけた仁丹印の町名看板、この辺りはもう時代を感じるアイテムとして、自分(一人称)の写真のコレクションにも増えていく一方です。
更に進んで行くと智恵光院通との交差点、その一角に古い建物があり通りを囲むようにして行列ができている。その行列の前で相棒を止める、店にも行列にも興味はないよ、惹かれたのはこの建物の2階の軒下にかかっている仁丹印の看板。カメラを向けてると「こいつ何撮ってんねん」と言う感じの目で見られる、そっちこそ狭い道に何並んでんねん・・・。その隣にあるのが写真3枚目にある『さらさ西陣』というお店、何の店かは分からないがお客さんがいるのが見える。ここは元は公衆浴場で入口には温泉マークの看板がかかっている、『旧藤ノ森湯』と言う名前で、ここも登録有形文化財に指定されている。
堀川通の交差点では紫明通の大きな道が左に分かれて行って、鞍馬口通は右側の隠れたようにある細い道へ。所々に古い町並は見かけるが、ここも基本は普通の生活が垣間見られると言った感じの普通の民家が軒を為している所。もう写真のネタになるような場所もほとんど見当たらず、一路東へ、名前の知れた道を何本か交差して景色が開けた所で鴨川に架かる橋へとたどり着く。鞍馬口通と言う名前の道は一応ここで終わりとなって、ここから先は東鞍馬口通となる、ってそのままやおまへんか。
自分(一人称)は初めて鞍馬まで走った時、名前がそうだからと言うだけでこの鞍馬口通から東鞍馬口通を至って鞍馬通へと入って行った。鞍馬口と言っても道は東西に進むだけだから、結局叡山鉄道線沿いに来た時には何か損した気分になった、ここに出るなら素直に鴨川沿いを通って出町柳を経由した方が良かったかな・・・と。ただ気になったのは何を基本にして鞍馬口通と名付けたのだろう、と思って調べてみると、この道の終わりになる出雲路橋が架かっている界隈が鞍馬口町と言う地名だった。位置的には御所を基準にしてここが鞍馬へと至る玄関口となった所だからこの地名になったのだろうか、あまり無責任なことを言うわけにはいかないので今日はこれくらいにしておきますか。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち