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皇海山(日本百名山)

2014年11月29日 | 日本百名山

今週は理由あって、登山は休み、過去の記録から皇海山と上州武尊山を紹介します。

2010年7月10~12日、梅雨の合間をぬって夜行1泊2日で皇海(すかい)山と上州武尊山へ

 Ⓜmaitabi を利用した。

7月10日 20:00出発、竜宮館に23:00着、翌日は5:30発、風呂も入らず就寝。

かっての皇海山に至るコースは「庚申講」がとった”修行の道”1泊2日の行程だった。

(皇海山は庚申山の”奥ノ院”)

足尾銅山(栃木県)から庚申山に登りそこで1泊、翌日鋸山の11の小さなピークを越えて、

一旦不動沢のコルへ下って、皇海山に登った。

皇海橋への林道の開通とともに、日帰りが可能になった。

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今日の行程は、 (標高差800m、約7km、約6時間)

  竜宮館発 =不動沢登山口 ⇒不動沢のコル ⇒皇海山頂 ⇒往路下山 =花咲温泉旅館へ

                             

5:30 晴天のなか、竜宮館を出発、林道を90分かけて皇海橋へ向かう。

未舗装の林道は揺れる、適度な揺れが、居眠りをさそう。

登山口

7:05 皇海橋へ、「不動沢登山口」に着いた、不動沢沿いの道を歩く。

:不動沢

沢を右左に渡りながら登って行く。

   (クリックすると大きくなります)

:ショウキラン(鍾馗蘭)

ラン科ショウキラン属の多年草、葉緑素を持たず菌類に寄生する腐生植物。

通年地下茎の形で成育し、7~8月の花期のみ花茎を地上に伸ばし、花を咲かせる。

鱗片状の葉を持つが目立たないので、地表から唐突に花序だけが生えた姿に見える。

花は美しいピンク色をしており、1週間程度で黒くしおれる。

腐生植物であり、光合成を行わず、菌根を形成し、共生により栄養を得ている。

名は、花の形を烏帽子をかぶった鍾馗の姿に見立てたもの。 

:沢

二俣で休憩、ここからの登りは沢を歩く、急登、雨でもふればきつい登りだ。

天候に感謝する。

:滑る急登

沢を登って一安心と思いきや、足元が緩い急登が待っていた。

ロープもあるが滑る足元に気を使う。

:鋸山

9:05 不動沢のコルへ、視界が開けた、新緑がまぶしい。

庚申山からの合流点、右に鋸山が見える、11のピークを鋸の刃に例えたのだろう。

ここから山頂までは1時間の歩程。

赤城山辺り

シラビソ・コメツガの樹林帯を木の根に注意しながら登る。

:青銅の剣(ネットより)

岩を越えると道は平坦になり、「青銅の剣」が立っている。

石碑には「当山開祖木村惟一」とある。

東京庚申講の先達で、庚申山から皇海山へ至る道を開いたとある。

山頂

10:05 山頂へ、山頂は狭く、木立に囲まれ視界がないが、空はまさに、「ブルー皇海」だった。

:カラマツ林

往路を下山、不動沢のコル~沢まで下る急登は大騒ぎだった。

落石が頻発、幸い被害者はいなかったが、危険なタイミングはあった。

落石を避けるには、「登りは先頭を行き、下りは最後尾」そんな話をしながら歩いた。

皇海山

13:10 無事下山終了、皇海山の山容が見えた。

木暮さんの考証によると、この皇海山はサク山という名で正保(1644年)の図にも

記入されており、その後の地誌類にも載っているそうである。

サク山は一名*笄(こうがい)とも呼ばれた。【*男女ともに髪をかきあげるのに用いる具】

コウガイの形をしているからであろう。そのコウガイが皇開と宛字され、それが皇海となり

皇はスメと読むから、皇海をスカイと読むようになったのだという木暮説である。

                                       (日本百名山:皇海山より)

                  日本百名山 51皇海山完登 

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     上州武尊山に続く  

 



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