6月16日(月)10:03 藤野駅に降りた。
今日も藤野の里山、京塚山(石山)を歩く、藤野十五名山のFINISHになる。
:売店
ここで、ユズジャムとか丹沢アンパンを購入しました。 お勧めです
:京塚山
10:15 藤野駅から国道20号線(甲州街道)を右へ進む。
:弁天橋
相模湖にそそぐ桂川を、弁天橋で渡る。
:日連橋
It,S Fine 帰りに渡る日連大橋です。
行程が短いので遠回り、名倉地区を歩いて「石楯尾神社」へ寄ります。
野辺の花達です。
:桔梗 :マンネンソウ :ホタルブクロ
看板も整備されています。
:名倉の権現様(別名)
10:45 石楯尾(いわたてのお)神社、歴史の古い由緒ある神社。
御祭神 石楯尾大神 (石楯尾神社に鎮まる神様)、①産土神②伊邪那基幹神
③天御中主神 (高皇産霊神 神皇産霊神)④天常立神⑤国常立神⑥天照座皇大神
⑦大歳神⑧猿田彦神⑨菊理姫神 (幽産土神=速玉男神 事解男神) ⑩事代主神
⑪日本武尊⑫守良親王 (亀山天皇の皇子) ⑬その外多くの神々・・・・。
これだけ祭神の多い神社も珍しい。
本殿の北側には、その他多くの神々の祠が建っていた。
本来なら「商売仇」の神々が並んで祠を建てているのは”奇異な姿”に見えた。
石楯尾神社縁起から・・・
神々が国の鎮めと御降りになった神聖な場所で、この岩磐が西に伸びて桂川に迫り、
あたかも盾のよう切り立った偉大な岩磐としてそそり立ち、上に岡があり、
この地が地球内部から人霊魂を地上に送り出す産土地(ウヴスナジ)で斎庭(ゆには)
(神を祭るために斎(い)み清めた場所。さいじょう。)とし、
天つ神の御導きで本社が建てられこれが石楯尾神社である。
:夫婦杉
神奈川県天然記念物に指定されている。
灯篭の代わりか?ホタルブクロがこの通り。
:
神社を後に、石楯山(227m)へ遊歩道を歩く。(やっと土の道だ)
虫がうるさい、スズメバチも飛んでいた、花も木もそろっている。
:トリアシショウマ :アザミ :オカトラノオ
:石楯山、幸福の鐘
11:00 石楯山、北側に眺望があります。
鶴橋御前山:戦国の世、陣馬山~鷹取山~鉢岡山そして鶴橋御前山と、烽火台が設置され
通信手段に使われたとか。 武田信玄 VS 北条早雲の戦いの跡でもある。
手前桂川、右奥に権現岳から扇山
遊歩道を名倉峠へ向かいます。
存在感のあるキノコでした。
:名倉峠
11:20 名倉峠、南へ下り京塚山登山口へ
:登山口
11:30 登山口(3月にはここを登り名倉へ降りた)
:一本松山
前回トラバースした一本松山へ(ただのピークだった)
蝶と蛾が、刺激されました。♂×♀
:カノコガ見っけ :ウメバチノツエ :カノコガ
:最後の分岐
小さい花を大きく撮るのが趣味です。
:ハナニガナ :ハルジオン
:シロバナイチヤクソウ
:マイレージ?
GポイントとかのJALマイレージにも交換可能か?
:京塚山(別名:石山)
12:00~12:20 京塚山(358m)へ、昼食
:参考までに
地元の人の努力にはいつも「感謝・感謝・感謝」です。
:石碑
:明治34年中央線開通のトンネル口固めに、この大事な烏帽子岩を砕いてしまった。
この大事な事が忘れられてたが、昭和51年に倉田重郎さんが神の使いとしての宮司に
伝えて、由緒ある事を明らかにした。
事を知っていた杉ノ森久保一さんが確かな証言をして、実際にに伝える事ができた
【この石碑に書かれている烏帽子岩の歴史です】
月:手前・日連金剛山、奥・石老山
月:峰山、奥・北丹沢の山並み
月:ギフチョウを探した石砂山
今日の昼食:・で調達しました(カフェオレが無糖だった)
石山の名残り
:下り
太刀へ下る、落葉の堆積が半端じゃなかった。
:太刀登山口
12:40 太刀登山口へ下山
:クサノオウ :ヒメリンゴ
:ヤエツルドクダミ(初めて見ました)
秋川橋を渡ります。奥が秋山川、相模湖に流れ込みます。
:暑いわけだ!!
駅前の古民家をバッグに咲く「ムクゲ」です。
藤野町はお洒落な町です、こんなイベントも。
13:05着、先週より一本早い中央線で帰りました。
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行程:標高差158m、約5km、3時間弱
10:15 藤野駅 ⇒10:45 石楯尾神社 ⇒11:00 石楯山
⇒11:20 名倉峠 ⇒11:30 京塚山登山口 ⇒11:40 一本松山
⇒12:00~12:20 京塚山・昼食 ⇒12:40 太刀 ⇒13:05 藤野駅
藤野十五名山(一応)完登
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twins
ひいじじ(曾祖父)と逢いに、茨城県へ日帰りです。