『大谷光瑞の生涯』 津本陽 著 角川文庫
シルクロードを旅した方、また興味のある方なら一度は聞いたことのある『大谷探検隊』。その隊長と言いますか音頭をとったのがこの本の主人公・大谷光瑞(こうずい)です。著者は光瑞の桐蔭高校の後輩という作家、有名な津本陽さん。
大谷光瑞は本願寺第22代門主で明治9年生まれ。若い頃ロンドンに留学したこともある182センチの偉丈夫。当時としては巨漢です。それに英国仕立ての洋服で身をつつんで闊歩したと言いますから仏門というより財閥の御曹司のように見えたことでしょう。明治から昭和にかけて、本願寺教団のドンとして君臨しました。
当時の本願寺は現在の宗教法人とは比べものにならなかったようで、どれほど凄いかといいますと、予算で見れば当時の京都市とほぼ同額。生活から見れば百万石の大名に匹敵するほどであったそうです。現在に例えれば・・・、やめておきます。
さて、そんな仏教界の重鎮たる光瑞が、何故に3回ものシルクロード探検隊を派遣したか。そこは、この本を読んでみて下さい。
光瑞は積極的に西域探検隊を派遣したり、日露戦争の戦争遂行の為ばく大な寄付をしたりと剛胆な人物というイメージですが、圧倒的だった本願寺の収支は大きくバランスを崩し、ついにはその「放漫」の責任をとる格好で大正3年に門主を引退しました。
「地図上の空白」と言われ、想像を絶する世界であった当時の西域。現在は高速道路や空港が整備されつつあり当時とは比べるべくもありません。しかし光瑞の時代にこの西域に挑むということは、私たちが今考える以上の冒険であったことでしょう。そんな未知の世界にチャレンジするのは、大谷光瑞のような人物でなければならなかったのかもしれません。大谷探検隊が持ち帰った資料の数々は、西域を研究する上でかけがえのない貢献をし、現在は西本願寺別府別院内にある大谷記念館などにも展示されています。
これから、西域(シルクロード)はいよいよ旅の季節を迎えます。西域の近現代史を知る上では良い本だと思います。どうぞ読んでみて下さい。内藤でした。
一日一回、クリックしていただければ幸いです。
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シルクロードを旅した方、また興味のある方なら一度は聞いたことのある『大谷探検隊』。その隊長と言いますか音頭をとったのがこの本の主人公・大谷光瑞(こうずい)です。著者は光瑞の桐蔭高校の後輩という作家、有名な津本陽さん。
大谷光瑞は本願寺第22代門主で明治9年生まれ。若い頃ロンドンに留学したこともある182センチの偉丈夫。当時としては巨漢です。それに英国仕立ての洋服で身をつつんで闊歩したと言いますから仏門というより財閥の御曹司のように見えたことでしょう。明治から昭和にかけて、本願寺教団のドンとして君臨しました。
当時の本願寺は現在の宗教法人とは比べものにならなかったようで、どれほど凄いかといいますと、予算で見れば当時の京都市とほぼ同額。生活から見れば百万石の大名に匹敵するほどであったそうです。現在に例えれば・・・、やめておきます。
さて、そんな仏教界の重鎮たる光瑞が、何故に3回ものシルクロード探検隊を派遣したか。そこは、この本を読んでみて下さい。
光瑞は積極的に西域探検隊を派遣したり、日露戦争の戦争遂行の為ばく大な寄付をしたりと剛胆な人物というイメージですが、圧倒的だった本願寺の収支は大きくバランスを崩し、ついにはその「放漫」の責任をとる格好で大正3年に門主を引退しました。
「地図上の空白」と言われ、想像を絶する世界であった当時の西域。現在は高速道路や空港が整備されつつあり当時とは比べるべくもありません。しかし光瑞の時代にこの西域に挑むということは、私たちが今考える以上の冒険であったことでしょう。そんな未知の世界にチャレンジするのは、大谷光瑞のような人物でなければならなかったのかもしれません。大谷探検隊が持ち帰った資料の数々は、西域を研究する上でかけがえのない貢献をし、現在は西本願寺別府別院内にある大谷記念館などにも展示されています。
これから、西域(シルクロード)はいよいよ旅の季節を迎えます。西域の近現代史を知る上では良い本だと思います。どうぞ読んでみて下さい。内藤でした。
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